■原典

・鉄炮記




■史料

 隅州の南に一嶋有り。州を去ること一十八里、名づけて種子と曰ふ。…(中略)….。

 天文癸卯(1)(秋八月二十五日丁酉)、我が西村小浦(2)に一大船有り。何国より来るか知らず。船客百余人、…(中略)…。

 

 手に一物を携ふ。長さ二、三尺。其の体たるや、中通り外は直にして、重きを以て質と為す。其の中常に通ると雖も、其の底は密塞を要す。其の傍に一穴有り。火を通ずるの路也。形象、物の比倫すべき無き也。…(中略)…。

 

 時堯(3)其の価の高くして及び難きを言はずして、蛮種の二鉄炮を求め、以て家珍と為す。




■注釈

(1)1543年のこと。  (2)種子島西村にある小さな入江のこと。  (3)島主である種子島時尭のこと。

 




■現代語訳

 大隈国の南に1つの島がある。大隈国から18里、名前は種子島という。

 

 …1543年、種子島に大船が到着した。どこの国の船かは定かではない。乗客は100余人ほどで、あるものを携えている。その長さは2〜3尺で、中は空洞、外見はまっすぐでずっしりと重い。中は空洞だが、底は閉じている。その一部に火を通す穴がある。火をつけるためのものであった。その形状は全く例えようのない物であった。

 

 時堯はその値段があまりにも高価で手が届きにくいにもかかわらず、その南蛮人が持っていた鉄砲を購入してその家宝とした。




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■原典

・耶蘇会日本年報




■史料

 本年日本に在るキリシタンの数はビジタドールの得た報告に依れば、十五万人内外で、其の中には豊後、有馬及び土佐Tosaのキリシタンの王大友宗麟・有馬晴信、一条兼定の外にも、高貴な人で親戚及び家臣と共にキリシタンとなつた者が多数ある。

 

 キリシタンの大部分は下Ximoの地方、有馬、大村、平戸Firando、天草Amac A a等に居り、又五島Goto及び志岐Xiquiの地にもキリシタンが在つて、其の数は十一万五千人に上り、豊後国には一万人、都Miaco地方には二万五千人ある。




■注釈




■現代語訳




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■原典

・近江八幡市共有文書




■史料

   定   安土山下町中(1)

一、当所中楽市(2)として仰せ付けらるるの上は、諸座・諸役・諸公事等、ことごとく免許の事。

一、往還の商人、上海道(3)はこれを相留め、上下とも当町に至り寄宿すべし。…

一、伝馬免許(4)の事。

一、分国中徳政これを行ふといえども、当所中免除の事。

一、喧嘩・口論、ならびに国質・所質・押買・押売・宿の押借以下一切停止の事。




■注釈

(1)城下町のこと。  (2)市座(販売座席)を廃止して、自由に商業活動をさせること。  (3)のちの中山道のことで、安土は通らない街道である。  (4)軍需物資の輸送や家臣の往来に対して馬や労役を提供すること。




■現代語訳

 1577年、安土城下町に対して定める

一、安土の城下町は楽市と命じられたため、諸座の規則や座の雑税など、諸々の賦課などはことごとく(すべて)免除する。

一、商人は上街道を通行せず、上りも下りも安土城下町に宿泊すること。

一、伝馬役は免除する。

一、領国内に徳政令を出したとしても、安土の城下町は免除とする。

一、喧嘩・口論は禁止とする。また、国質、所質という財産没収行為も禁止する。押し売り、押し買い、宿を無理矢理に借りるというような不当行為も一切を禁止する。




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■原典

・松浦文書




■史料

 一、日本ハ神国たる処、きりしたん国より邪法(1)を授かるの儀、太だ以て然るべからず候事。

 

 一、其国郡の者を近付け門徒になし、神社仏閣を打破るの由、前代未聞に候。…(中略)…。

 

 一、伴天連(2)、其の知恵の法を以て、心ざし次第ニ檀那(3)を持ち候と思し召され候ヘバ、右の如く日域(4)の仏法を相破る事曲事(くせごと)の条、伴天連の儀、日本の地ニハおかせられ間敷候間、今日より廿日の間ニ用意仕り帰国すベく候。

 

 一、黒船(5)の儀は商売の事に候間、各別に候の条、年月を経、諸事売買いたすべき事。

 

   天正十五年六月十九日

 




■注釈

(1)キリスト教のこと。  (2)外国人宣教師のこと。由来はポルトガル語で神父を意味するパードレの当て字とされている。   (3)信仰者、信者のこと。  (4)日本のこと。  (5)ポルトガル・スペイン船のことで、船体が黒かったことに由来する。




■現代語訳 

 日本は神国であるから、キリスト教の布教はよくないことである。

 

 領内の者たちを引き込んでキリスト教徒にし、寺社の破壊を行うことは前代未聞である。

 

 宣教師はその知識を用いて信者を自由に獲得していると秀吉公はお思いになっており、右のように日本の仏教を破壊することは誤りである。宣教師の日本滞在を禁止とし、今日より20日いないの間に帰国すること。

 

 黒船は商売のことなので別格とし、これからも様々な品物を売買すること。

 1587年6月19日




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■原典

・浅野家文書




■史料

 一、其の許(1)検地の儀、一昨日仰せ出され候如く、斗代(2)等の儀は御朱印(3)の旨に任せて、何も所々(4)、いかにも念を入れ申し付くべく候。もしそさう(粗相)二仕り候ハバ各越度(5)たるべく候事。…(中略)…。

 

 一、仰せ出され候趣、国人(6)併びに百姓共ニ合点行き候様ニ、能能申し聞かすべく候。自然(7)相届かざる(8)覚悟の輩これあるに於ては城主にて侯ハバ、其のもの城へ追ひ入れ、各相談、一人も残し置かず、なでぎりニ申し付くべく候。百姓以下ニ至るまで相届かざるニ付てハ、一郷も二郷もことごとくなでぎり仕るべく候。六十余州堅く仰せ付けられ、出羽・奥州 迄そさう(粗相)ニハさせらる間敷候。たとへ亡所(9)ニ成り候ても苦しからず候間、其の意を得べく候(10)。山のおく、海ハろかいのつづき候迄 、念を入るべき事専一に候。自然各退屈する(11)に於ては、関白殿御自身御座成され候ても、仰せ付けらるべく候。急と此返事然るべく候也。

 八月十二日 (秀吉朱印)

       浅野弾正少弼どのへ

 




■注釈

(1)「その方の場所」、ここでは奥州を指す。  (2)一段あたりの公定収穫高のこと。  (3)秀吉の命令を伝えた朱印状のこと。  (4)「どこでも」  (5)過失  (6)地域の領主のこと  (7)「もしも」  (8)「承服しない」  (9)耕作者のいない荒れた土地のこと。  (10)「そのつもりでやるように」  (11)「怠けること」

 




■現代語訳

 一、その方の検地のことについては、一昨日、仰せ出されたように、斗代などのことは秀吉の名を伝えた朱印状の趣旨にそって、どこでも十分に念を入れて申しつけるようにすること。もし粗相に扱うとお前たちの過失とする。…(中略)…。

 

 一、検地について申し渡した事がらの趣旨を黒人や百姓たちに納得のゆくように、よく申し聞かすべきである。もしもこれに不服従の者がいた場合には、その者が城主であれば、これを城に追い詰め、奉行らが相談の上で一人残らずなで切りにせよ。また、百姓以下の者までこれに従わぬ場合は、一郷でも二郷でもことごとくなで切りにせよ。日本全土六十余州に固く命令したからには、出羽・欧州も例外ではなくいい加減にするわけにはいかない。たとえ亡所となってしまっても良いから、その旨を十分承知せよ。山の奥まで、海は櫓櫂のおよぶ所まで念を入れて施行せよ。もし、その方どもが怠けるようなことがあれば、関白秀吉どのご自身が出かけられて命令されるだろう。必ずこの手紙の返事をしなさい。

 1590年(天正18年)8月12日

    浅野弾正少弼とのへ

 




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■原典

・西福寺文書




■史料

 

右今度御検地相定むる条々

 一、六尺三寸(1)の棹を以て、五間六拾間、三百歩壱反ニ相極むる事。

 一、田畠幷に在所の上中下見届け、斗代相定むる事。

 一、口米(2)壱石ニ付て弐升宛、其の外役夫一切出すべからざる事。

 一、京升(3)を以て年貢を納所(4)致すべく候。売買も同じ升たるベき事。




■注釈

 (1)畳の大きさにも使われる。6尺3寸は約191センチメートル。  (2)代官が本年貢のほかに高地面積や年貢高に応じ、一定の割合で徴収される米穀のこと。  (3)豊臣秀吉によって全国統一された公定の升のこと。  (4)年貢などを納める場所のこと。ここでは「年貢を納める」の意。  




■現代語訳 

 右の通り、この度検地について定める

 一、六尺三寸の棹を使って五間六拾間、三百歩壱反に定めること。

 一、田畠と在所の上、中、下を定め、斗代を定めること。

 一、口米壱石につき二升とし、そのほかの夫役は一切出さないこと。

 一、京升を使って年貢を納めること。売買も同じ升とする。

 




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■原典

・小早川家文書




■史料

 一、諸国百姓、刀、脇指、弓、やり、てつはう、其の外武具のたぐひ所持候事、堅く御停止候。其の子細(1)は、入らざる道具をあひたくはへ、年貢所当(2)を難渋せしめ、自然一揆を企て、給人にたいし非儀の動(3)をなすやから、勿論御成敗有るべし。然れば、其の所の田畠不作せしめ、知行ついえになり候の間、其の国主、給人、代官として、右武具ことごとく取りあつめ進上致すべき事。

 

 一、右取をかるべき刀、脇指、ついえにさせらるべき儀にあらず候の間、今度大仏御建立(4)の釘かすがひに仰せ付けらるべし。然れば、今生の儀は申すに及ばず、来世までも百姓たすかる儀に候事。

 

 一、百姓は農具さへもち、耕作専らに仕り候へバ、子子孫孫まで長久に候。百姓御あはれみをもつて、此の如くに仰せ出され候。誠に国土安全万民快楽の基也。…此の旨を守り、各其の趣を存知し、百姓は農桑に精を入るべき事。

 

 右、道具急度取り集め、進上有るべく候也。

 

  天正十六年(5)七月八日 (秀吉朱印)




■注釈

(1)「その理由」の意。 (2)年貢やそれ以外の諸税のこと。  (3)道理に背く行為のこと。  (4)京都方広寺の大仏殿建立のこと。  (5)1588年のこと。




■現代語訳

 一、諸国の百姓たちが刀・脇差・弓・槍・鉄砲その外武具の類を持つことをかたく禁止する。その理由は、不必要な武器を所有し、年貢・所当を出し渋り、一揆を起こし、もし給人に対して非道な振る舞いをした輩があれば、もちろん処罰されるのであるから、そうなればその所の田畑は耕作されず、その土地から年貢があがらなくなるからである。その土地の領主、給人あるいは代官などの責任において以上のような武具を全部集めて差し出すようにせよ。

 

 一、右の没収される刀や脇差は無駄にされるのではなく、今度、大仏建立にあたって釘やかすがいとして用いようと思う。そうすれば、現世はいうまでもなく、来世までも百姓は救済されるであろう。

 

 一、百姓は農具さえ持って耕作に専念していれば、子々孫々まで繁栄していくだろう。百姓への憐れみを持ってこのように命じるのである。これが国土安全万民快楽の基である。それぞれこの命を守り、その趣旨を理解し、百姓は農業に農業に精を出す事。

 右の通り、必ず武具を取り集めて進上すべきこと。

  天正十六年(1588年)七月八日 (秀吉朱印)




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■原典

・小早川家文書




■史料

 一、奉公人(1)、侍(2)・中間(3)・小者(4)・あらし子(5)に至る迄、去七月奥州え御出勢より以後、新儀ニ町人百姓ニ成り候者之在らば、其の町中、地下人(6)として相改め、一切をくべからず。若しかくし置くニ付てハ、其の一町一在所御成敗を加へらるべき事(7)

 

 一、在在百姓等、田畠を打ち捨て、或ひはあきない、或ひは賃仕事ニ罷り出ずる輩之有らば、そのものの事ハ申すに及ばず、地下中御成敗たるベし。幷に奉公をも仕らず、田畠もつくらざるもの、代官給人としてかたく相改め、をくべからず。…

 

右条条、定め置かるる所件の如し。

   天正十九年(8)八月廿一日 (秀吉朱印)




■注釈

(1)武家奉公人のこと。この後に記述される「侍、中間、小者、あらし子」の総称。  (2)領地を持つ武士に仕える若党などの従者のこと。武士身分に属する。  (3)若党などと小者の間に位置する武家の召使いのこと。  (4)武家の雑役に使われる者のこと。  (5)荒らし事をする者のこと。  (6)百姓のこと。  (7)「処罰する」の意。  (8)1591年。




■現代語訳

 一、武家奉公人、つまり若党などの侍、中間、小者、荒らし子たちで、去る天正18(1590)年七月奥州へ出兵になってからのち、新しく町人・百姓になった者があれば、その町中および百姓全部の責任において調べ、一切を置いてはならない。もし、これを隠して置くことがあれば、その町、あるいは村全体の処罰を加える。

 

 一、村々の百姓たちが、田畑を捨てて、あるいは商売または賃仕事に出る者があれば、その者はいうまでもなく村人全てを処罰するものとする。並びに、奉公もせず、田畑も田畑も耕作しないものは代官や役人が調べ上げ、そのようなものを村々に置いてはならない。

 天正19(1590)年8月21日(朱印)(豊臣秀吉)




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■原典

・毛利家文書




■史料




■注釈




■現代語訳




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■原典

・徳川禁令考

 


■史料

 

(1)元和令

一、文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事。

  文を左にし武を右にするは、古の法也。兼備せざるべからず。…

一、法度に背く輩、国国に隠し置くべからざる事。…

一、国国大名、小名幷に諸給人、各相抱ふるの士卒、叛逆殺害人たるを告ぐる者有らば、速かに追ひ出すべき事。…

一、諸国の居城、修補を為す(1)と雖も必ず言上すべし。況んや新儀の構営(2)堅く停止せしむる事。…

一、私に婚姻を締ぶべからざる事。…

 

(2)寛永令

一、大名小名(3)在江戸(4)の交替相定むる所也。毎歳夏四月中、参勤(5)致すべし。従者の員数、近来甚だ多し。且つは国郡の費(6)、且つは人民の労也。向後は其の相応を以て之を減少すべし。但し、上洛の節は教令に任せ、公役は分限に随ふべき事。

一、五百石(7)以上の船、停止の事。

一、万事江戸の法度の如く、国国所所に於て之を遵行すべき事。…

 

(3)天和令

一、文武忠孝を励し、礼儀を正すべきこと、….(以下、略)…。

一、(略)…、五十以上十七歳以下の輩、末期(8)に及び養子致すと雖も、吟味の上之を定べし。…(略)…附、殉死(9)の儀、弥制禁せしむること。

 


■注釈

(1)修理すること。福島正則はこの条文に違反して改易となった。  (2)新しく築城すること。  (3)石高の少ない大名のこと。  (4)藩と江戸。  (5)参勤交代の制度確立はこの条文の成立による。ただし、関東在住の大名は半年に1回とされた。  (6)藩の負担のこと。  (7)米500石(現在で約75トンに相当する量)以上の積載が可能な船を指す。  (8)臨終の時のこと。  (9)主君の死に際して家臣が後を追って自害すること。

 


■現代語訳

(1)元和令

 一、(1615年)学問と文武に励むこと。文武両道は古からの法である。ともに備えていなかればならないものである。

 一、法度に背くものを国々に隠しおくことはしてはならない。

 

 一、国々の大名、小名並びに初給人、それぞれに仕えている士卒は叛逆殺害人であることを口にするものがいれば速やかに追い出すこと。

 一、居城を修理する場合でも、幕府に届け出ること。新しく城を築くことは禁止とする。

 一、私的に婚姻を結ぶことは禁止する。

 

(2)寛永令

 一、(1635年)参勤交代について定める。毎年四月中に参勤すること。最近は従者の数が非常に多い。これは藩で賄う費用とし、領民の負担ともなる。今後は身分相応に従者の数を減らすこと。

 一、米500石以上を積める船の建造を禁止する。

 一、全ての事柄について、江戸の法度の通り、それぞれの国でも順守すること。

 

(3)天和令

 一、(1638年)学問と武道、主君への忠義と父祖への孝行を奨励し、礼儀を正すこと。

 一、50歳以上の者や17歳以上の者が、臨終の時に養子届けを出した場合、吟味の上で決定する。…殉死は禁止とする。

 


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■原典

・徳川禁令考




■史料

一、天子御芸能の事、第一御学問也。…

一、摂家(1)たりと雖も、其の器用(2)無き者、三公(3)摂関に任ぜらるべからず。況んや其の外をや。

一、武家の官位は公家当官(4)の外たるべき事。

一、改元は漢朝の年号の内、吉例を以て相定むべし。…

一、紫衣(5)の寺は住持職、先規希有の事(6)也。近年猥に勅許の事、…甚だ然るべからず。…向後においては、其の器用を撰び、…申し沙汰有るべき事。….

 

 慶長廿年乙卯七月 日




■注釈

(1)摂政・関白に就任する家柄のこと。  (2)「才能」の意。  (3)太政大臣、左大臣、右大臣のこと。  (4)「その官位の者がいても叙任できる」の意。 (5)最高位の僧衣をさす。勅許がなければ着用できないもの。  (6)「先例があまりない」の意。




■現代語訳

 一、天皇のなされる諸芸能は、第一に学問である。…

 一、摂関になられる家柄の者であっても、それだけの能力が備わっていない者には三公や摂関に任じてはならない。ましてやその他の職も同様である。

 一、武家に与える官位は、公家の定員以外のとりあつかいをすべきこととする。

 一、改元は漢朝が用いたもののうち、良い例を採用すること。…

 一、紫衣を勅許される高位の僧侶が住職となる寺は、以前はほとんどいなかった。ところが、最近ではみだりに勅許されている。…はなはだけしからぬことである。今後は、才能のある立派な人を撰び、…勅許されるべきである。…

 慶長廿(1615)年乙卯七月 日




 

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■原典

・御当家令条




■史料

 一、祭礼・仏事等結構(1)に仕る間敷事。

 一、男女衣類の事、此以前より御法度の如く、庄屋は絹・紬(つむぎ)・布・木綿(2)を着すべし、わき百姓(3)はもめんたるべし、右の外はえり帯等にも仕る間敷事。

 一、嫁とりなどに乗物無用の事。

 一、似合ざる家作(4)自今以後仕る間敷事。

 一、御料(5)・私領共に、本田畑(6)にたばこ作らざる様に申し付くべきこと。

 一、荷鞍に毛氈(7)をかけ、乗り申す間敷事。

 一、来週より在々所々において、地頭、代官(8)木苗を植え置き、林を仕立候様に申し付くべき事。

 

 寛永十九年午五月廿四日

 




■注釈

(1)「立派に」の意。  (2)生糸、真綿、麻、木綿の各種織物のこと。紬とは真綿を紡いだ絹糸の織物を指す。  (3)一般の百姓のこと。  (4)家の作り・仕様のこと。  (5)幕領、旗本の知行地を指す。  (6)検知台帳に記載のある田畑のこと。  (7)獣毛で作られた敷物のこと。  (8)知行地を持つ旗本を指す。




■現代語訳

 一、祭礼や法事は質素にとり行うこと。

 一、庄屋は絹織物・麻織物・綿織物を着用しても良いが、一般の百姓は麻織物・綿織物を着用せよ。それ以外は着物の襟や帯にも帯にも使用してはならない。

 一、嫁入りに乗り物は不要である。

 一、身分不相応な家の作りにはしないこと。

 一、幕領・旗本知行地に、たばこを栽培してはならない。

 一、荷鞍に毛氈を敷いて乗ってはならない。

 一、知行地を持つ旗本や代官は、村々に木を植え、林を造成すること。

 




 

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■原典

・条令拾遺

・徳川禁令考




■史料

 一、公儀御法度(1)を怠り、地頭(2)・代官の事をおろそかに存ぜず、扨又、名主組頭(3)をハ真の親とおもふべき事。

 一、朝おきを致し、朝草を刈り、昼ハ田畑耕作にかかり、晩にハ縄をない、たわらをあみ、何にてもそれぞれの仕事油断無く仕るべき事。

 一、酒・茶を買ひのみ申す間敷候、妻子同前の事。….

 一、百姓ハ分別もなく末の考へもなきものニ候故、秋ニ成り候得バ、米・雑穀をむざと妻子ニもくハせ候。いつも正月・二月・三月時分の心をもち、食物を大切ニ仕るべく候ニ付き、雑穀専一ニ候間、麦・粟・稗・菜・大根、其の外何にても、雑穀を作り、米を多く喰つぶし候ハぬ様に仕るべく候。飢饉の時を存じ出し候得バ大豆の葉・あづきの葉・ささげの葉・いもの落葉など、むざとすて候儀ハ、もつたいなき事に候。

 一、男ハ作をかせぎ、女房ハおはたをかせぎ(4)、夕なべ(5)を仕り、夫婦ともにかせぎ申すべし。然れバみめかたちよき女房成り共、夫の事をおろかに存じ、大茶をのみ、物まいり、遊山ずきする女房を離別すべし。…又みめさま悪しく候へ共、夫の所帯を大切にいたす女房をバ、いかにも懇に仕るべき事。

 一、百姓ハ、衣類の儀、布木綿(6)より外ハ、帯、衣裏ニも仕る間敷事。

 一、たば粉のみ申す間敷候。是ハ食にも成らず、結句以来煩ひニ成るものニ候。其の上隙もかけ、代物も入り、火の用心も悪しく候。万事ニ損成るものニ候事。

 …右の如くニ物毎に念を入れ、身持をかせぎ(7)申すべく候。…年貢さへすまし候得バ、百姓程心易きものハ之無く、よくよく此趣を心がけ、子子孫孫まで申し伝へ、能能身持をかせぎ申すべきもの也。

 慶安二年(8)丑二月六日




■注釈

(1)幕府の法令のこと。  (2)知行地を持つ旗本のこと。  (3)名主は江戸時代の村長、組頭はその補佐にあたる人を指す。  (4)「苧(麻の一種)からとった糸で布を織る」の意。  (5)麻布と木綿のこと。  (6)夜の仕事のこと。  (7)身上をあげるように稼ぐこと。  (8)1649年のこと。




■現代語訳

 一、幕府の法令を怠り、地頭・代官の事を粗末に考えることなく、さらに名主や組頭を真の親と思って尊敬すること。

 

 一、早起きをして、朝は草を刈り、日中は田畑の耕作に励み、晩には縄をない、何事にもそれぞれの仕事を念入りに入れて行うこと。

 

 一、酒や茶を買って飲んでではいけない。妻子も同じである。…

 

 一、百姓は分別がなく仔細に考えが及ばないので、秋になれば米や雑穀を軽率に妻子に食べさせている。いつも正月・二月・三月と同じ心持ちで、食べ物を大切にするべきであるので、雑穀が1つであれルナらば、麦・栗・稗・菜・大根、そのほかの何であっても、雑穀を作って、米をたくさん食べてしまわないようにすること。飢饉になれば、大豆の葉・あづきの葉、ささげの葉、いもの落ち葉なども捨ててしまうのはもったいないことである。

 

 一、男は農業に精を出し、女房は苧機を織り、夜なべをして夫婦ともに稼ぐこと。美しい女房であっても夫のことをおろそかに考え、茶ばかり飲み、物詣りや行楽好きの女は離別すべきである。

 

 一、百姓の衣類については、麻の布と木綿以外のものを、帯や着物の裏地にも使ってはならない。

 

 一、たばこは吸ってはならない。これは腹の足しにもならず、結局病気になるだけで、お金もかかるし、火事を出すもとである。全てにおいて損をするものである。

…右のように物事に気をくばり、働くようにせよ。…年貢さえ納めてしまえば、百姓ほど心配のないものは他にはないから、十分にこの意味を心にとめて、子や孫にまで申し伝えて、しっかり働いて財産を作らねばらならない。




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■原典

・御触書寛保集成




■史料

一、身上(1)能き百姓は田地を買ひ取り、弥宜く成り、身体(2)成らざる者は田畠沽却(3)せしめ、猶猶身上成るべからざるの間、向後田畠売買停止たるべき事。

 




■注釈

(1)資産のこと。  (2)家計のこと。  (3)売却の意。




■現代語訳

 一、資産のある百姓は、田地を買い取り、いよいよ豊になり、家計の苦しい者は、田地を売却していよいよ家計が苦しくなるので、今後は田畑の売買を禁止とする。




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■原典

・昇平夜話

・西域物語

・本佐録




■史料

①昇平夜話

 百姓は飢寒に困窮せぬ程に養ふべし。豊なるに過れば(1)、農事を厭ひ、業を易る者多し、困窮すれば離散す。東照宮(2)上意に、郷村の百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと合点致し、収納申し付様にとの上意は、毎年御代官衆、支配所へ御暇賜る節、仰出されしと云へり。…

 

②西域物語

 …神尾氏(3)が曰く、胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなりといへり。… 

 

③本佐録

 百姓は天下の根本也。是を治むるに法有り。先づ一人一人の田地の境目を能く立て、扨一年の入用作食をつもらせ、其の余を年貢に収むべし。百姓は財の余らぬ様に不足なき様に、治むる事道なり。毎年立毛の上を以て納むる事、古の聖人の法也。…

 




■注釈

(1)「生活が楽になると」の意。  (2)家康のこと。  (3)享保の改革の時代に勘定奉行であった神尾晴央のこと。

 




■現代語訳

①昇平夜話

 百姓は飢えや寒さに困らない程度に養うべきである。生活が楽になると、農作業を嫌がり、仕事を変える者が増え、困窮すると土地を離れてしまう。家康公がお考えの「農村の百姓たちは、死なないように、余裕を持って生きないようにと心得て…」…。

 

②西域物語

 勘定奉行の神尾氏は「ごまの油と百姓は、絞れば絞るほど出るものだ」と言った。

 

③本佐録

 ※略




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■原典

 ・御当家令条




■史料

 生類憐愍(1)の儀、前前より仰せ出され候処、下下にて左様之無く、頃日疵付き候犬共度度之有り、不届きの至りに候。向後、疵付き候手負犬、手筋極り候ひ(2)て、脇より(3)露顕致し候ハバ、一町の越度(4)たるべし。幷びに辻番人の内、隠し置き、あらはるるにおゐてハ、相組中越度たるベき事。




■注釈

(1)「生き物をあわれむ」の意。  (2)「誰が犯人が分かって」の意。  (3)「本人以外から」の意。  (4)落ち度、責任のこと。




■現代語訳

生き物をあわれむようにと、以前から命令されているが、下々の中では守られておらず、この頃傷ついた犬を度々見かける。あってはならないことである。今後は犬を傷つけた犯人が、本人以外から明らかになった場合に、町中の落ち度とする。




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■原典

・憲教類典

 近藤重蔵が編纂したとされる江戸幕府の法令集。1798年に完成。慶長から寛政までの約200年間の法令が部門別に収められている。

 




■史料

 

 寛文十三年(1)

一、名主百姓田畑持ち候大積り(2)、名主弐拾石以上、百姓は拾石以上、夫より内に持ち候者は、石高猥りに分け申す間敷旨、御公儀様従り仰せ渡され候間、自今以後其の旨堅く相守り申す可き旨、仰せ付けられ畏み奉り候。若し相背き申し候はば何様の曲事(3)にも仰せ付けらるべく候事。




■注釈

(1)1673年のこと。  (2)おおよその見積もりのこと。  (3)「処罰」の意。

 




■現代語訳

一、名主、百姓の田畑所持高のおおよその見積もりは、名主は20石以上、百姓は10石以上である。それ以下の田畑所持者は、みだりに分地してはならないとの趣旨を幕府から命令されたので、今後そのことを堅く守ようにとのことを命じられ、承知しました。もし、この命令に違反した場合は、どのような処罰に命じられても構いません。

 




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■原典

・読史余論




■史料

 

一、本朝(1)天下の大勢、九変して武家の代となり(2)

   武家の代また五変して当代(3)におよぶ総論の事

 神皇正統記に、光孝より上つかたは一向上古也。万の例を勘ふるも、仁和より下つかたをぞ申める。五十六代清和、幼主にて、外祖良房、摂政す。是、外戚専権の始。〈一変〉基経、外舅の親によりて陽成を廃し光孝を建しかば、天下の権、藤氏に帰す。そののち関白を置き或は置ざる代ありしかど、藤氏の権、おのづから日日盛也。〈二変〉六十三代冷泉より…後冷泉、凡そ八代百三年の間は、外戚、権を専らにす。〈三変〉後三条・白河両朝は、政天子に出づ。〈四変〉堀河…安徳…凡そ九代九十七年の間は、政上皇に出づ。〈五変〉…

 武家は、源頼朝、幕府を開て、父子三代天下兵馬の権を司どれり。凡そ三十三年。〈一変〉平義時(4)、承久の乱の後、天下の権を執る。そののち七代凡そ百十二年、高時が代に至て滅ぶ。〈二変〉…後醍醐中興ののち、源尊氏反して天子蒙塵。尊氏、光明院を北朝の主となして、みづから幕府を開く。子孫相継て十二代におよぶ。凡そ二百卅八年。〈三変〉…足利殿の末、織田家勃興して将軍を廃し、天子を挾みて天下に令せんと謀りしかど、事未だ成らずして、凡そ十年がほど、其の臣光秀に弑せらる。豊臣家、其の故智を用ひ、みづから関白となりて天下の権を恣にせしこと、凡そ十五年。〈四変〉そののち終に当代の世となる。〈五変〉




■注釈

(1)日本のこと。  (2)一・二・三変が「摂関政治」、四・五変が院政」、六変が「鎌倉幕府(武家一変)」、七変が「執権政治(武家二変)」、八変が「建武の新政」、九変が「室町幕府(武家三変)」を指す。「織豊政権」は武家四変、「江戸幕府」は武家五変とされている。

(3)「徳川家(江戸幕府)」のこと。  (4)「北条義時」のこと。

 




■現代語訳

 

 一、日本の天下の大勢は、9回変わって武家の時代となり、武家の時代はさらに5回変わって江戸幕府の時代となった。

 …(中略)…清和天皇の摂政を外祖父の藤原良房が務めた。外戚が政権を握った最初である(一変)。藤原基経が陽成天皇を廃して光孝天皇を立て、天下の権力は藤原氏に集まった(二変)。冷泉天皇から後冷泉天皇まで、外戚であった藤原氏が権力を独占した(三変)。後三条・白河両天皇の時代は、天皇が政治を行った(四変)。堀川天皇から安徳天皇までおよそ97年間は上皇が政治を行なった(五変)。

 

 武家は源頼朝が鎌倉幕府を開き、親子三代軍事の権限を握った。その間33年であった(一変)。北条義時が承久の乱後に天下の実権を握った。その後、7代およそ120年で高時の代に滅んだ(二変)。後醍醐天皇が中興の後、足利尊氏が謀反を起こして天皇が都から逃げた。尊氏は北朝の光明天皇立てて幕府を開き、その子孫が相続し、12代に及んだ。その間およそ238年間。これが三変。足利氏の末期、織田家がおこって足利将軍を廃し、天皇を戴いて天下に号令せんと謀ったが、統一の事業が未完成のうちに、およそ10年間でその部下である明智光秀に殺された。豊臣家は古人の用いた知略で自ら関白となり、天下の実権を握った。その間およそ15年(四変)。ついに徳川氏の時代となった(五変)。

 




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■原典

・西洋紀聞




■史料

 凡そ其の人(1)博聞強記にして、彼方多学の人と聞えて、天文・地理の事に至ては、企て及ぶべしとも覚えず。…其の教法(2)を説くに至ては、一言の道(3)にちかき所もあらず。

 

 …彼方の学のごときは、ただ其の形と器とに精しき事を。所謂、形而下(4)なるもののみを知りて、形而上(5)なるものはいまだあづかり聞かず。さらば天地の如きも、これを造れるものありという事、怪しむにはたらず。




■注釈

(1)イタリア人宣教師シドッチのこと。  (2)キリスト教の教義やその道徳のこと。  (3)道徳的真理のこと。  (4)「形を備えているもの」「感性的経験で知り得るもの」を指す。  (5)「形をもっていないもの」「感性的経験では知り得ないもの」を指す。




■現代語訳

 イタリア人宣教師のシドッチは記憶力がよく多岐にわたる知識を持ち、天文・地理の知識が特に優れている。しかし、キリスト教の教義や道徳に関する説明には一言も道徳的真理に近いものはみられない。

 

 西洋の学問というのは、ただ物質的な技術的な知識にのみ詳しく、目に見える現象のみを扱うような、いわゆる形而下のみが発達して現象を超越した、その背後にある真の本質を追求するような形而上学については、まだほとんど考究されていないようである。だから天地を創造した神などという言説があるのも当然であろう。




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■原典

・経済録




■史料

 今ノ世(1)ノ諸侯ハ、大モ小モ、皆首ヲタレテ町人ニ無心(2)ヲイヒ、江戸・京都・大坂其ノ外処々ノ富商ヲ憑ンデ、其ノ続ケ(3)計ニテ世ヲ渡ル。邑入(4)ヲバ悉ク其ノ方ニ振リ向ケ置キテ、収納ノ時節ニハ、子銭家ヨリ倉ヲ封ズル類也。子銭家トハ、金銀ヲ借ス者ヲ云フ。

 邑入ニテ償ヒテモ猶足ラズ、常ニ債ヲ責メラレテ、其ノ罪ヲ謝スルニ安キ心モナク、子銭家ヲ見テハ、鬼神ヲ畏ルル如ク、士ヲ忘レテ町人ニ俯伏シ、或ヒハ重代ノ宝器ヲ典当シテ時ノ急ヲ免ガレ、家人ヲバ飢サシテ、子銭家ヲバ珍膳ニテSシ、或ヒハ子銭家トテ、故モナキ商賈ノ輩ニ、禄俸ヲ与ヘテ家臣ノ列ニ入レ、或ヒハ貰リタル物ノ直ヲ償ハズ、工人役夫等ノ賃銭ヲ償ハズシテ、其ノ人ヲ困究セシムル類、凡ソ廉恥ヲ忘レテ不仁不義ヲ行フ人、比比トシテ皆是也。諸侯スラ然ル也。況ンヤ薄禄ノ士大夫ヲヤ。風俗ノ敗レ、悲シムニ余レリ。




■注釈

(1)18世紀後半の享保期のこと。  (2)遠慮なく金をねだること。  (3)「援助」の意。  (4)領地からの年貢収入のこと。




■現代語訳

 今のよの諸大名は大名も小名も、みな頭を下げて町人に借金を組み、江戸・京都・大坂その他の諸都市の大聖人を頼りにし、その援助によって生計を立てている。年貢収入は全てその借金返済にあて、収納の季節なると、金貸しの承認が蔵を差し押さえるほどである。子銭家とは金銀を貸す者のことを指す。…(以下、略)。




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■原典

・日本永代蔵




■史料

 

 三井九郎右衛門(1)といふ男、手金の光(2)、むかし小判(3)の駿河町と云ふ所に、面九間に四十間に、棟高く長屋作りして、新棚(4)を出し、万現銀売りに、かけねなしと相定め、四十余人、利発手代を追ひまはし、一人一色の役目。

 たとへば、金襴類壱人。日野・郡内絹類壱人。羽二重壱人、…此のごとく手わけをして、天鳶兎一寸四方、段子毛貫袋になる程。緋繻子鑓印長。龍門の袖覆輪かたかたにても、物の自由に売り渡しぬ。殊更、俄か目見への熨斗目・いそぎの羽織などは、其の使ひをまたせ、数十人の手前細工人立ちならび、即座に仕立て、これを渡しぬ。さによつて家栄へ、毎日金子百五十両づつ、ならしに商売しけるとなり。




■注釈

(1)三井八郎兵衛高利のこと。越後屋を創業した三井家の祖先。  (2)「慶長小判」のこと。  (3)「手持ちの金」の意。  (4)「新しい店」の意。




■現代語訳

 

 越後屋の創業者で三井家の祖先である三井高利は、慶長小判を鋳造していた駿河町に、間口九間・奥行四十間の棟の高い長屋造の新しい店を出した。全て現金売りの掛け値なし、という商いをし、40人あまりの利発な手代を駆使して、1人1種類の商品を担当させた。….(以下、略)…。




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■原典

・御触書寛保集成




■史料

 

 御旗本(1)ニ召し置かれ候御家人、御代代段段相増し(2)候。御蔵入(3)高も先規よりハ多く候えども、御切米御扶持方(4)、其の外表立ち候御用筋渡方ニ引き合ひ候ては、畢竟年年不足の事ニ候。

 …今年ニ至りて御切米等も相渡し難く、御仕置筋の御用も御手支の事ニ候。それニ付き、御代代御沙汰之無き事ニ候えども、万石以上(5)の面面より八木(6)差し上げ候様ニ仰せ付けらるべしと思し召し、左候ハねば御家人の内、数百人御扶持を召し放さるべきより外は之無く候故、御恥辱を顧みられず、仰せ出され候。高壱万石ニ付き八木百石積り差し上げらるべく候。…之に依りて在江戸半年(7)充御免成され候間、緩緩休息いたし候様ニ仰せ出され候。




■注釈

(1)将軍直属の旗本及び御家人をさす。  (2)綱吉・家宣・吉宗の藩主時代の旧臣を、旗本や御家人に登用したために増加した。  (3)幕領からの年貢収入のこと。  (4)「知行地を持たない旗本や御家人に支給する」の意。  (5)大名のこと。  (6)米のこと。二文字を合わせると「米」という文字になる。  (7)「参勤交代による在府を、半年間短縮」の意。




■現代語訳

 (1722年)旗本や御家人の数は段々と増加してきた。幕府の年貢収入は以前よりも増加しているが、切米(きりまい)や扶持米(ふちまい)、行政費といった支出が増加して年々不足してきている。

 今年は切米などの支給も困難となり、行政費にも支障が出てきた。そこで代々の将軍は命じなかったが、一万石以上の大名から米を幕府に差し出させようと将軍はお考えになった。そうしないと、旗本や御家人のうち、数百人をやめさせるしかなく、恥を忍んで命じられたのである。

 高一万石に米百石お割合で納入すること。その代わりに、参勤交代の江戸在府を半年短縮するので、ゆっくり休息するようにとご命令があった。




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■原典

・御触書寛保集成




■史料

 

 一、近年金銀出入(1)段々多く成り、評定所(2)寄り合いの節も此の儀を専ら取扱ひ、公事訴訟は末に罷り成(3)、評定の本旨を失い候。借金銀・買懸り(4)等の儀は、人々相対(5)の上の事に候へば、自今は三奉行(6)所にて済口(7)の取扱い致す間敷候。….

 

 一、只今迄奉行所にて取上げ、日切に申しつけ(8)、段々済寄り候金銀の出入も、向後罷出で間敷由申し付くべく候事。




■注釈

(1)金銀貸借の訴訟のこと。  (2)訴訟を裁決する最高機関のこと。  (3)「一般の訴訟取扱が疎かになる」の意。  (4)「ツケで購入する」の意。  (5)「当事者相互の話し合い」の意。  (6)寺社奉行・勘定奉行・江戸町奉行のこと。  (7)「裁決」の意。  (8)「日限を限って貸借決済をするよう命じる」の意。

 




■現代語訳

 一、近年、金銀貸借に関する訴訟が次第に多くなり、評定所で会合の時もこのことをもっぱら扱い、一般の訴訟が疎かになり、評定所本来の趣旨を失ってしまっている。そこで、借金銀・売掛け・買掛けなど取引上の問題は、当事者相互で話し合いすることによって解決すべきことであるので、今後は三奉行所においては金銀訴訟は取り扱わないこととする。

 

一、現在まで奉行所で取り上げ、日限を限って裁決をしてきた金銀貸借の訴訟についても、今後は訴えでないように申しつけるようにする。




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■原典

・御触書寛保集成




■史料

 享保八年卯六月

 

 諸役人、役柄に応ぜざる小身(1)の面面、前前より御役料(2)定め置かれ下され候処、知行の高下これある故、今まで定め置かれ候御役料にては、小身の者御奉公続き兼ね申すべく候。

 

 これにより今度御吟味これあり(3)、役柄により、その場所不相応に小身にて御役勤め候者は、御役勤め候内御足高(4)仰せ付けられ、御役料増減これあり、別紙の通り相極め候。

 

 但此度御定の外取り来り候御役料は其の儘下し置かれ候。




■注釈

(1)「家禄の少ない」の意。  (2)役職に応じて支給された手当のこと。役料は1665年(4代将軍家綱)からとされている。  (3)各職の石高を定め、任命されたものが石高に達しない場合には、その不足分を在職限って補足した石高のこと。  (4)「調査があって」の意。




■現代語訳

 享保八(1723)年六月

 

 諸役人のうち、役職不相応に禄高の高い人々に対しては、前前から役料を定めて下されていたが、知行の高い者と低い者があるので、従来定めておいた役料では小身の者は御奉公を続けることができなくなってきた。

 

 そこでこの度調査をして、役職により、不相応に禄高の低い者が、その役につく場合、在職中に役高から不足する分を補足することとしたので、役料は家禄により増減があることになり別紙の通り決定された。

 

 以上の旨を申し渡しすように仰せ出された。ただし、この度決定されたもの以外の役料は、そのまま下しおかれる。




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■原典

・徳川禁令考




■史料

盗人御仕置の事

 一、人を殺、盗いたし候もの 引廻し(ひきまわし)(1)の上 獄門(2)

 一、追剥(おいはぎ) いたし候もの  獄門

 一、手元ニ之有る品をふと盗取候類

      金子ハ拾両より以上、雑物ハ代金ニ積リ拾両位より以上ハ、死罪(3)

      金子ハ拾両より以下、雑物ハ代金ニ積リ拾両位より以下ハ、入墨敲(4)

 

人殺并に疵付等御仕置の事

 一、主殺  二日晒、一日引廻し、鋸挽の上 磔

 一、主人に手負はせ候もの  晒の上 磔




■注釈

(1)縛って馬に乗せ、引き回すこと。  (2)牢内で斬首し、三日間さらすこと。  (3)牢内で目魔駆使して斬首すること。  (4)入墨は附加刑で、敲は杖で叩くこと(軽は50回、重は100回)。




■現代語訳

盗人の処罰について

 人を殺して強盗を働いた者  引き回して獄門にする。

 追い剥ぎをした者  獄門にする。

 

手元にあるものを盗んだ者

 金銭は10両以上、雑物は代金にして10両以上のもの  死罪

 金銭は10両以下、雑物は代金にして10両以下のもの  入墨敲

 

(以下、略)




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■原典

・政談




■史料

 昔ハ在々(1)ニ殊ノ外銭払底(2)ニテ、一切ノ物ヲ銭ニテハ買ハズ、皆米麦ニテ買タル事、某、田舎(3)ニテ覚タルコト也。

  

 近年ノ様子ヲ聞合スルニ、元禄ノ此ヨリ田舎ヘモ銭行渡テ、銭ニテ物ヲ買フ事ニナリタリ。




■注釈

(1)「村々」の意。  (2)「貨幣が流通していない」の意。  (3)荻生徂徠が育った上総の本納村を指す。




■現代語訳

 昔は農村で貨幣が非常に不足しており、貨幣で買い物をすることはなく、米や麦との交換で品物を入手していたことを覚えている。

 近年の様子を聞いてみると、元禄の頃から、貨幣が農村にも行き渡り、貨幣で物品を買うようになっているということである。




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■原典

・経済拾遺録




■史料

 問

 近来諸侯大小ト無ク、国用不足(1)シテ貧困スルコト甚シ。家臣の俸禄を借ルコト、少キハ十分ノ一、多キハ十分ノ五六ナリ。ソレニテ足ラザレバ、国民ヨリ金(2)ヲ出サシメテ急ヲ救フ。

 猶足ラザレバ、江戸・京・大坂ノ富商人大賈(3)ノ金ヲ借ルコト、年年ニ已ズ。借ルノミニテ還スコト罕(まれ)ナレバ、子又子ヲ生テ(4)、宿債(5)(フルキオヒモノ)増多スルコト幾倍トイフコトヲ知ラズ。




■注釈

(1)「藩の経費が不足している」の意。  (2)御用金や献金のこと。  (3)大商人のこと。  (4)子は利子のことで、「利子に利子がつく」ということ。  (5)以前からたまっていた債務のこと。




■現代語訳

 近頃、大名は皆藩の経費が不足し、生活に困っている。家臣の俸禄を、1割〜5・6割借り上げているほどである。それでも足りない場合には、領民に御用金や献金を課して急場をしのいでいる。

 さらに足らなければ江戸・京・大坂の大商人から借金をする。借りるばかりなので利子が利子を生み、債務の増加が、何倍になっているのか分からないほどである。




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■原典

・甲子夜話




■史料

・甲子夜話

田沼氏の盛なりしときは諸家の贈遺様様に心を尽したることどもなりき。

…また田(沼)氏中暑(1)にて臥したるとき候問の使价(2)、此の節は何を翫び給ふやと訊ふ。

 菖盆(3)を枕辺に置きて見られ候と用人答へしより、二三日の間、諸家各色の石菖(4)を大小と無く持ち込み、大なる坐敷二計は、透間も無く並べたてて取り扱ひにもあぐみしと云ふ。…

 

・田沼政治の風刺

 役人の子は にぎにぎ(5)をよくおぼえ

 年号は やすくながしとかはれども 諸色高じき 今の明和九(6)

 浅間し(7)や 富士より高き米相場 火の降る(8)江戸に砂の降るとは




■注釈

(1)「暑気あたり(夏バテ)」の意。  (2)見舞いの使者のこと。  (3)ショウブを植えた盆栽のこと。  (4)ショウブと同じ香花。   (5)賄賂などを受け取る様子のこと。  (6)明和九年を安永元年に改元。物価高を風刺している。  (7)1783年の浅間山の大噴火のこと。  (8)貧しい様を表す。




■現代語訳

・甲子夜話

 田沼意次氏の勢いがあった時は、諸大名からの贈り物も工夫が凝らされていた。

 田沼が暑気あたりで寝込んでいる時、見舞いの使者が、最近は何を喜ぶかと聞くと、「ショウブの盆栽を枕元に置いてごらんになっっています。」と用人が答えるので、二、三日の間に諸大名は色とりどりの石菖を大小となく持ち込んで大きな座敷の2つに隙間なく並べ、取り扱いに苦労したという。

 

 ・田沼政治の風刺

  役人の子は にぎにぎをよく覚える。

  年号は安く永くと変わったけれど、物価は高いままで今も「明和九(迷惑)」である。

  浅間山の噴火により、米価は富士山よりも高くなり、困窮している江戸時代の人々の上に火山灰までもが降ってくるとは嘆かわしい。




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■原典

・御触書天保集成

 




■史料

① 囲米の制

 近年御物入相重り候うえ、凶作等打ち続き、御手当御救筋、莫大に及び候に付き、おいおい御倹約の儀仰せ出され候えども、天下の御備御手薄ニこれあり候ひては相済まざる儀ニ思し召し候。

 

 これにより享保の御例を以て、上納米も仰せ付けらるべく候えども、当時不如意多きの儀、かつ凶作等ニて難渋の砌ニも候えば、御沙汰に及ばされず候。

 

 …高壱万石ニ付き五十石の割合を以て、来る戌年より寅年迄五ケ年の間、面面領邑ニ囲穀いたし候ようニ仰せ出され候。

 

 

② 棄捐令

 このたび、御蔵米取(1)御旗本・御家人(2)、勝手向(3)御救ひのため、蔵宿(4)借金仕法の御改正を仰せ出され候こと。

 一、御旗本・御家人蔵宿どもより借入金利足の儀は、向後金壱両ニ付き銀六分宛の積り、利下ゲ申し渡し候間、借り方の儀ハこれまでの通り蔵宿と相対(5)致すべきこと。

 一、旧来の借金は勿論、六ケ年以前辰年(6)までニ借請け候金子は、古借新借の差別無く、棄捐の積り相心得べきこと。…




■注釈

(1)幕領の年貢の中から俸禄の米を支給される者のこと。  (2)将軍直属の家臣。旗本は将軍に直接謁見できるが、御家人はその対象ではない。  (3)「生計」の意。  (4)札差のこと。  (5)「直接交渉」の意。  (6)天明4(1784)年を指す。




■現代語訳

① 囲い米(※省略)

 

② 棄捐令

 この度、幕府から切米を支給されている旗本・御家人の生活を救済するために札差からの借金の方法の改正を仰せ出される。

 

 一、御旗本・御家人が、札差から新たに借りる借金の月利は、今後元金一両につき銀0.6匁(当時の金銀相場で約1%の月利)とし、利子下げを命じるから、借金の方法はこれまでの通り、札差と話し合いですること。…

 

 一、昔からの借金はもちろん、6年以前の天明4(1784)年までの借金は、古い借金、新しい借金の区別なく、債券の放棄を命じるから、そのように心得るように。…

 




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■原典

・徳川禁令考

 




■史料

 

学派維持の儀に付、申達    林大学(1)の頭え

 

 朱学(2)の儀は、慶長以来御代代御信用の御事にて、已にその方家代代右学風維持の事、仰せ付け置かれ候えば、油断無く正学(3)相励み、門人ども取り立て申すべきはずニ候。

 

 しかるところ近来世上種種新規の説をなし、異学(4)流行、風俗を破り候類これあり、全く正学衰微の故ニ候や、甚だ相済まざる事ニて候。

 

 その方門人どものうちにも右体学術純正ならざるもの、折節はこれあるようニも相聞え、如何ニ候。

 

 このたび聖堂(5)御取り締り厳重に仰せ付けられ、柴野彦助(6)、岡田清助(7)儀も右御用仰せ付けられ候ことニ候えば、よくよくこの旨申し談じ、きっと門人ども異学を相禁じ、なおまた、自門に限らず他門ニ申し合せ、正学講窮(8)致し、人材取り立て候よう相心掛け申すべく候こと。




■注釈

(1)林信敬のこと。大学頭は大学寮の長官で、代々林家がこの称号を受けた。  (2)朱子学のこと。  (3)朱子学のこと。  (4)朱子学以外の儒学の諸学派を指す。  (5)湯島聖堂のこと。幕府の教学の中心で、孔子を祀っている。  (6)柴野栗山のこと。  (7)岡田寒泉のこと。  (8)「講義・研究」の意。 




■現代語訳

学派維持の件について、林大学頭へ申しつける。

 朱子学のことについて、慶長以来、将軍家代々御信用の学問であり、すでに林家が代々右学風維持のことを仰せつけられているので、たえず朱子学を研究し、門人等を養成しなければならない。

 

 しかし、近頃世間では種々新学説を唱え、異学が流行し、風俗を乱すものがいる。朱子学が衰退したためであろうか、大変よろしくないことである。

 

 (中略)

 

 この度、聖堂学問所の取り締まりを厳重にする。柴野栗山、岡田寒泉等を儒官に登用するので、よくよくこの旨を申し聞かせ、門人に異学を禁止すること。自分の門下だけでなく、朱子学を学ぶ他の儒者とも話し合い、朱子学を講じ研究して、人材を取り立てるよう心がけなくてはならない。

 




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■原典

・御触書天保集成




■史料

文政8酉(1825)年2月(1)

 

 異国船渡来の節取計方(2)、前前従り数度仰せ出され之有り、をろしや船の儀に付ては、文化の度改て相触れ候(3)次第も候処、いきりすの船先年長崎に於て狼藉に及び(4)、…追追横行の振舞、其の上邪宗門(5)に勧め入れ候致方も相聞へ、旁捨て置かれ難き事ニ候。

 

 一体いきりすニ限らず、南蛮・西洋の儀は、御制禁邪教の国ニ候間、以来何れの浦方(6)ニおゐても、異国船乗り寄せ候を見受け候ハバ、其の所ニ有り合わせ候人夫を以て、有無に及ばず、一図(7)ニ打ち払ひ、逃げ延び候ハバ、追船等差し出すに及ばず、其の分ニ差し置き、若し押て上陸致し候ハバ、搦め捕り、又は打ち留め候ても苦しからず候。

 

 …御察度(8)は之有る間敷候間、二念無く(9)、打払を心掛け、図を失はざるよう(10)取り計らひ候処、専要の事に候条、油断無く申し付けらるべく候。…




■注釈

(1)1825年。  (2)「取り扱う方法」の意。  (3)文化3(1806)年の薪水給与令を指す。  (4)文化5(1808)年のフェートン号事件を指す。  (5)キリスト教のこと。  (6)海辺の町のこと。  (7)「直ちに」の意。  (8)「詳しく取り調べて処罰する」の意。  (9)「「ためらうことなく」の意。  (10)「機を失わない」の意。




■現代語訳

文政8(1825)年2月

 

 外国船が渡来してきた時の扱い方については、以前から数回にわたって命じられている。ロシア船の事については、文化3(1806)年に改めてお触れを出したことがあったが、イギリスの船(フェートン号)が先年(文化5(1808)年)長崎において乱暴をし、…(中略)…その上、キリスト教に入信を進めるようなこともあったと判明し、いずれにしても放置できないことである。

 

 大体イギリスに限らず、南蛮西洋の国々は日本で禁じているキリスト教国であるから、今後はどこの港においても外国船が入港したことを発見したならば、その場に居合わせた人々をもって有無を言わず、直ちに打払い、逃亡した場合は追跡船を出す必要はなく、そのままにしておいて良いが、もし強行に上陸したならば逮捕し、または打ち殺しても差し支えない。

 

 …詳しい取り調べはしないので、迷うことなく打ち払うことを考え、時機を逃さないように処置することが大切であり、油断のないように申しつけておく。




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■原典

・徳川禁令考




■史料

 異国船渡来の節、二念無く打ち払ひ申すべき旨、文政八年仰せ出され候(1)。然ル処、当時万事御改正にて、享保寛政の御政事ニ復せられ(2)、何事ニよらず御仁政を施され度との有難き思し召しニ候。

 

 右ニ付ては、外国のものニても、難風に 逢ひ漂流ニて食物薪水を乞ひ候迄ニ渡り来り候を、其の事情相分からざるニ、一図ニ打ち払ひ候てハ、万国に対せられ候御所置とも思し召されず候。

 

 之に依り、文化三年(3)異国船渡来の節取計方(4)の儀ニ付仰せ出され候趣、相復し候様仰せ出され候間、異国船と見受け候ハバ、得と様子相糺(5)し、食料薪水等乏しく帰帆(6)成り難き趣候ハバ望の品(7)相応ニ与へ、帰帆致すべき旨申し諭せ。尤も上陸ハ致させ間敷候。




■注釈

(1)1825(文政8)年の異国船打払令を指す。  (2)天保の改革の理想のこと。  (3)1806年。(4)「取り扱い方法」の意。  (5)「よく調べる」の意。  (6)「帰国」の意。  (7)「希望する品」の意。




■現代語訳

 外国船が渡来してきたとき、迷うことなく打ち払いを行うべきことを文政8年に命じられた。ところが、現在では全てを改正する天保の改革を実施中で、享保・寛政の政治にもどされて仁政を行いたいとのありがたいお考えである。

 

 この事について、外国船であっても暴風にあい、漂流などして食料や薪水を求めるために渡来した場合、事情の分からないまま、ひたすら打ち払ってしまっては、全ての外国に対する適当な処置とはいえないとお考えになった。

 

 こういうわけで、外国船が渡来した場合、その取り扱いについては文化3年の法令に戻すよう命じられたので、外国船と見受けたならば、念入りに事情を調べ、食料・薪水などが不足して帰国しにくい事情があれば、望みの物資を適当に与え、帰国するように話し聞かせるようにせよ。ただし、上陸させてはならない。




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■原典

・徳川禁令考




■史料

 

 菱垣廻船積問屋(1)  十組問屋ども

 その方ども儀、是迄年年金壱万弐百両、冥加(2)上納致し来り候ところ、問屋ども不正(3)の趣ニ相聞ヘ候ニつき、以来上納ニ及ばず候。もっとも向後(4)仲間株札(5)ハもちろん、この外ともすべて問屋仲間ならびに組合などと唱ヘ候儀ハ相成らず候。

 一、右についてハ、これまで右船ニ積み来り候諸品ハ勿論、すべて何国より出で候何品ニても、素人直売買(6)勝手次第たるべく候。かつまた、諸家国産(7)類その外すべて江戸表え相廻し候品々も、問屋ニ限らず、銘銘出入の者ども引き受け、売り捌き候儀もこれまた勝手次第ニ候間、その旨存ずべし。…




■注釈

(1)十組問屋のこと。  (2)営業権(営業の許可)に対して上納する税のこと。  (3)ここでは「買い占め」や「売り惜しみ」、「不当な物価の釣り上げによって不当に利益を上げること」を指す。  (4)「今後」の意。  (5)幕府公認の営業独占権を「株・株札」という。株を持つ仲間を「株仲間」という。  (6)在郷の商人が直接取り引きを行うこと。  (7)諸藩によって生産された産物のこと。  




■現代語訳

 

 (1841年)菱垣廻船積問屋の十組問屋へ

 十組問屋には毎年金1万200両の冥加金を上納させてきたが、問屋たちに不正行為があるため、今度は上納の必要がない。今後は、株仲間はもちろん、問屋の仲間や組合などと称してはならない。

 

 一、全ての商品について在郷商人は直接取引を自由に行なってよい。また、諸藩の国産品そのほか全て江戸へ廻送してきた品々も、問屋に限らずそれぞれ出入りの商人たちが引き受けて売ることも自由であるから、この趣旨をよく承知すること。




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■原典

・牧民金鑑

・幕末御触書集成




■史料

 ①牧民金鑑

 一、在方(1)のもの身上相仕舞ひ(2)、江戸人別ニ入り候儀、自今以後決して相成らず…

 

 一、近年御府内(3)え入り込み、裏店(4)等借り請け居り候者の内ニハ、妻子等もこれなく一期住(5)同様のものもこれあるべし。左様の類ハ早早村方え呼び戻し申すべき事。…

 

 ②幕末御触書集成

 諸国人別改方(6)の儀、此度仰せ出され候に付いては、自今以後、在方のもの身上相仕舞い、江戸人別に入候儀決して相成らず候間、領分知行所役場(7)等に罷在候家来より、精々勧農の儀申諭、成る丈人別減らざる様取り計、且職分に付、当分出稼のもの并奉公稼ぎに出府(8)致し候もの共は、村役人共連印の願書差し出させ、右願の趣、承り届候旨、…(中略)…在所に罷在り候家来へ精々申し付くべく候。…

 

 在方のもの当地え出居馴れ候に随ひ、…(中略)…商売等相始め、妻子等持候ものも、一般に差し戻しに相成候ては、難渋致すべき筋に付、格別の御仁恵を以て、是迄年来人別に加り候分は、帰郷の御沙汰(9)には及ばれず、以後取り締まり方左の通り仰せ出され候。

 




■注釈

(1)農村のこと。  (2)「所帯をたたむ」の意。  (3)江戸のこと。  (4)粗末な貸家のこと。  (5)1年契約の奉公人のこと。  (6)諸国の戸口調査のこと。  (7)大名・旗本の代官所・陣屋を指す。  (8)江戸に出ること。  (9)「命令」の意。




■現代語訳

 

①牧民金鑑

 一、 (1843年)農村に住む者が財産を処理して、江戸の人別帳に入ることは今後厳禁とする。 

 

 一、江戸に入り、裏長屋などを借りて住む者の中には、妻や子どももなく、一年契約の奉公人同様の者もいる。このような者は、すぐに農村へ呼び戻すこと。

 

 ②幕末御触書集成

 諸国の戸口調査について、この度以下のような内容が申し渡された。

 これより以後、農村の者が所帯をたたんで江戸の戸籍に入ることは禁止とする。大名・旗本の代官所や陣屋などに務めている役人から、農民は農業に励むよう申し諭し、できるだけ農村の人口を減らさないように取り計らい、かつ目下出稼ぎや奉公のために江戸に出て職を得ている者については村役人などと連印の願書を差し出させ、右の願いの内容を届け…農村の役人に申しつけるようにすること。

 

 …農村のものが江戸に出て慣れるのに従って、…商売等をはじめ、妻子などを持っている者も、同じように帰農させるのは難渋するであろうから、格別のお取り計らいによって、これまで江戸の戸籍に加わっていた者については、帰郷の命令に従わなくてよいこととする。…




 

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■原典

・続徳川実紀

・癸卯日簿




■史料

 

 …このたび江戸大坂最寄(1)、御取り締りとして上知(2)仰せ付けられ候。右領分その余、飛地の領分ニも、高免の場所(3)もこれあり、御沙汰次第差し上げ、代知の儀如何様ニも苦しからず候えども、三つ五分(4)よりよろしき場所ニてハせっかく上知相願ひ候詮もこれなく候あいだ、御定の通り三つ五分に過ぎざる土地下され候えば、ありがたく安心仕るべく候。…




■注釈

(1)江戸と大阪の10里四方を指す。 (2)幕府が領地を収公(大名領・旗本知行地)すること。  (3)年貢率の高い場所のこと。  (4)「3割5分の租率」の意。 




■現代語訳

…この度 (1843年)江戸・大阪の周辺取り締まりのため、領地を幕領に編入するよう命じられた。以上の領分には年貢率の高い領地もあるが、命令次第すぐに取り上げること。代わりの土地はどこを希望しても良いが、年貢率が三割五分より高いところではせっかく領地の収公を願い出ても意味がない。そのため、お定めの通りに年貢率が三割五分以下の幕領と交換するため安心すること。…




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