【JH308】人掃令(身分統制令)
■原典
・小早川家文書
■史料
一、奉公人(1)、侍(2)・中間(3)・小者(4)・あらし子(5)に至る迄、去七月奥州え御出勢より以後、新儀ニ町人百姓ニ成り候者之在らば、其の町中、地下人(6)として相改め、一切をくべからず。若しかくし置くニ付てハ、其の一町一在所御成敗を加へらるべき事(7)。
一、在在百姓等、田畠を打ち捨て、或ひはあきない、或ひは賃仕事ニ罷り出ずる輩之有らば、そのものの事ハ申すに及ばず、地下中御成敗たるベし。幷に奉公をも仕らず、田畠もつくらざるもの、代官給人としてかたく相改め、をくべからず。…
右条条、定め置かるる所件の如し。
天正十九年(8)八月廿一日 (秀吉朱印)
■注釈
(1)武家奉公人のこと。この後に記述される「侍、中間、小者、あらし子」の総称。 (2)領地を持つ武士に仕える若党などの従者のこと。武士身分に属する。 (3)若党などと小者の間に位置する武家の召使いのこと。 (4)武家の雑役に使われる者のこと。 (5)荒らし事をする者のこと。 (6)百姓のこと。 (7)「処罰する」の意。 (8)1591年。
■現代語訳
一、武家奉公人、つまり若党などの侍、中間、小者、荒らし子たちで、去る天正18(1590)年七月奥州へ出兵になってからのち、新しく町人・百姓になった者があれば、その町中および百姓全部の責任において調べ、一切を置いてはならない。もし、これを隠して置くことがあれば、その町、あるいは村全体の処罰を加える。
一、村々の百姓たちが、田畑を捨てて、あるいは商売または賃仕事に出る者があれば、その者はいうまでもなく村人全てを処罰するものとする。並びに、奉公もせず、田畑も田畑も耕作しないものは代官や役人が調べ上げ、そのようなものを村々に置いてはならない。
天正19(1590)年8月21日(朱印)(豊臣秀吉)