【JH301】鉄砲の伝来
■原典
・鉄炮記
■史料
隅州の南に一嶋有り。州を去ること一十八里、名づけて種子と曰ふ。…(中略)….。
天文癸卯(1)(秋八月二十五日丁酉)、我が西村小浦(2)に一大船有り。何国より来るか知らず。船客百余人、…(中略)…。
手に一物を携ふ。長さ二、三尺。其の体たるや、中通り外は直にして、重きを以て質と為す。其の中常に通ると雖も、其の底は密塞を要す。其の傍に一穴有り。火を通ずるの路也。形象、物の比倫すべき無き也。…(中略)…。
時堯(3)其の価の高くして及び難きを言はずして、蛮種の二鉄炮を求め、以て家珍と為す。
■注釈
(1)1543年のこと。 (2)種子島西村にある小さな入江のこと。 (3)島主である種子島時尭のこと。
■現代語訳
大隈国の南に1つの島がある。大隈国から18里、名前は種子島という。
…1543年、種子島に大船が到着した。どこの国の船かは定かではない。乗客は100余人ほどで、あるものを携えている。その長さは2〜3尺で、中は空洞、外見はまっすぐでずっしりと重い。中は空洞だが、底は閉じている。その一部に火を通す穴がある。火をつけるためのものであった。その形状は全く例えようのない物であった。
時堯はその値段があまりにも高価で手が届きにくいにもかかわらず、その南蛮人が持っていた鉄砲を購入してその家宝とした。