2024.07.30

【JH341】 改革への風刺

■原典

・享保世話

・甲子夜話

・翁草




■史料

①享保の改革への風刺

 上げ米といへ米は気に入らず 金納ならばしじうくろふぞ(1)

 旗本に今ぞ淋しさまさりけり 御金もとらでくらすと思へば(2)

 

②田沼意次政治への風刺

 この上はなほ田沼るる度毎に めった取りこむ主殿(とのも)家来も(3)

 年号は安し永しと替えれども 諸色高直(4)いまに明和九(5)

 金とりて田沼るる身のにくさゆへ 命捨ててもさのみ惜しまん(6)

 

③寛政の改革への風刺

 世の中に蚊ほど(7)うるさきものはなし ぶんぶ(8)といふて夜もねられず

 どこまでもかゆき所にゆきとどく 徳ある君の孫(9)の手なれば

 白川の清きながれに魚すまず にごる田沼(10)の水ぞ恋しき

 

④天保の改革への風刺

 水引て(11) 十里四方(12)はもとの土

 白川(13)の岸打つ波に引換て 浜松風(14)の音の烈しさ

  




■注釈

(1)歌全体で徳川吉宗の上げ米の政策を風刺している。1万石につき100石の上げ米は金納ならば49両となる。これを「始終苦労」(しじうくろふ)と掛けている。

(2)旗本に対する扶持米の支給が滞っていることを皮肉っている。

(3)田沼主殿頭(とのもとのかみ)意次(田沼意次)と「殿」にかけている。

(4)諸物価高のこと。

(5)「さのみ」を佐野と「身を惜しむ」にかけている。田沼意次の子で若年寄りであった田沼意知は、旗本の佐野政言に刺殺された。佐野は切腹となったが、江戸庶民は佐野を「世直し大明神」と囃した。

(6)「かほど」(「これ以上」の意)と掛けている。

(7)松平定信が盛んに奨励した「文武」と掛けている。

(8)定信が8代将軍吉宗(法号は有徳院)の孫であることと掛けている。

(9)「白川」は奥州白河藩主である定信を指し、定信の潔癖と言われるその政治を表している。

(10)金権政治と評された田沼意次の政治を指している。定信の政治の「清き流れ」に対比される。

(11)「水野忠邦の失脚」を指す。

(12)水野忠邦によって実施された「上知令」の対象となった地域を指す。水野が失脚したことで、江戸・大坂の10里四方の土地が上知されずにもとのままになったことを風刺している。

(13)白川藩主であった松平定信のこと。

(14)浜松藩主だった水野忠邦のこと。歌全体で松平定信による寛政の改革よりも、水野忠邦による天保の改革の方が厳しいものであったことを風刺している。




■現代語訳

※略




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