【JH326】日本永代蔵(越後屋の繁栄)
■原典
・日本永代蔵
■史料
三井九郎右衛門(1)といふ男、手金の光(2)、むかし小判(3)の駿河町と云ふ所に、面九間に四十間に、棟高く長屋作りして、新棚(4)を出し、万現銀売りに、かけねなしと相定め、四十余人、利発手代を追ひまはし、一人一色の役目。
たとへば、金襴類壱人。日野・郡内絹類壱人。羽二重壱人、…此のごとく手わけをして、天鳶兎一寸四方、段子毛貫袋になる程。緋繻子鑓印長。龍門の袖覆輪かたかたにても、物の自由に売り渡しぬ。殊更、俄か目見への熨斗目・いそぎの羽織などは、其の使ひをまたせ、数十人の手前細工人立ちならび、即座に仕立て、これを渡しぬ。さによつて家栄へ、毎日金子百五十両づつ、ならしに商売しけるとなり。
■注釈
(1)三井八郎兵衛高利のこと。越後屋を創業した三井家の祖先。 (2)「慶長小判」のこと。 (3)「手持ちの金」の意。 (4)「新しい店」の意。
■現代語訳
越後屋の創業者で三井家の祖先である三井高利は、慶長小判を鋳造していた駿河町に、間口九間・奥行四十間の棟の高い長屋造の新しい店を出した。全て現金売りの掛け値なし、という商いをし、40人あまりの利発な手代を駆使して、1人1種類の商品を担当させた。….(以下、略)…。