【JH228】加賀の一向一揆
■原典
・蔭凉軒日録
・実悟記拾遺
■史料
①蔭凉軒日録
(長享二年六月二十五日)…今月五日、越前府中に行く。其れ以前、越前合力(1)勢賀州(2)に赴く。然りと雖も、一揆衆二十万人、富樫城(3)を取り回く。故を以て、同九日、城を攻め落さる。皆生害(4)す。而るに富樫一家の者一人(5)之を取り立つ。
②実悟記拾遺
泰高ヲ守護トシテヨリ、百姓トリ立テ富樫ニテ候アヒダ、百姓ノウチツヨク成テ、近年ハ百姓ノ持タル国ノヤウニナリ行キ候コトニテ候。
■注釈
(1)越前守護朝倉氏の軍勢のことで、一向一揆の討伐に出発した。 (2)賀州のこと、現在の石川県。 (3)守護富樫政親の拠点高尾城のこと。 (4)自害するの意。 (5)名目上は富樫泰高が守護となった。
■現代語訳(口語訳)
①蔭凉軒日録
(長享二年六月)廿五…(中略)…「今月五日。越前国の府中に向かった。それ以前に守護朝倉氏の援軍が加賀国へ出発した。しかし、一向一揆の軍勢二十万人が富樫の高尾城を取り巻いていた。こういうわけで、六月九日に城は攻め落とされ、みな自害した。そして富樫一族の者の一人、富樫泰高が加賀国守護に取り立てられた。
②実悟記拾遺
泰高を守護としてからは、百姓たちが取り立てた富樫であったから百姓の力が強くなって、近頃は加賀国は百姓が支配している国のようになってしまったということだ。