2021.12.04

【JH227】山城の国一揆

■原典

・大乗院寺社雑事記




■史料

(文明十七年(1)十二月十一日)…

 一、今日山城の国人(2)集会す。上ハ六十歳、下ハ十五六歳と云云。同じく一国中の土民等群集す。今度両陣(3)の時宜(4)を申し定めんが為の故と云云。然るべきか。但し又下極上(5)の至なり。両陣の返事問答の様如何、未だ聞かず。


(文明十八年二月十三日)…

 一、今日山城国人、平等院に於て会合す。国中の掟法(6)、猶以て之を定むべしと云云。凡そ神妙なり。但し興成(7)せしめば天下の為然るべからざる事か。




■注釈

(1)1485年のこと。  (2)国の衆、地頭や在地の領主をさす。  (3)畠山政長と義就の両畠山軍をさす。  (4)事態への対応策の意。  (5)下剋上のこと。  (6)国中を支配する掟のこと。  (7)勢いが盛んになること。




■現代語訳(口語訳)

 文明17(1486)年、12月11日、…(中略)…今日山城の国人らが集会した。上は60歳の老人から下は15、6歳の若者まで集まったという。同様に国中の土民たちも集まった。それは今度の両畠山氏の戦闘への対応策を考え、処置を決めるためのものだったという。もっともなことであろう。しかし、これはまた下剋上の極みである。…


 文明18(1486)年1月13日…(中略)…今日山城の国人が宇治平等院で会合した。山城の国内の掟を改めて定めるためであるという。殊勝なことだ。しかし、あまり勢いが強くなりすぎると、天下のためにはよくないことと思う。




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