2021.12.04

【JH218】守護請

■原典

・高野山文書




■史料

①高野山文書(一)

 高野領備後国太田庄并に桑原方地頭職尾道倉敷以下の事。

 下地に於ては知行致し、年貢に至りては毎年千石を寺納すべきの旨、山名右衛門佐入道常熙に仰せられ畢ぬ。早く存知すべきの由、仰せ下さるる所也。仍て執達件の如し。

 応永九年七月十九日  沙弥(花押)

      当寺衆徒中


②高野山文書(二)

高野山根本大塔雑掌(1)賢成 謹んで言上す

  備後国太田庄并に桑原方地頭職尾道倉敷等未進の事

 右、彼庄は…然るに鹿苑院(2)殿の御代応永九年、故山名右衛門佐殿請所の由申され、寺納千石の御教書成し下さるる間、愁訴を含むと雖も上意に応じ奉る処(3)、結句年年の未進、去る応永九年より永享十一年に至る二万六百余斛。

 目録別紙に之在り。…所詮、公方御累代の御願并に頼朝大将の御判、殊には鹿苑院殿様度度の御判の旨に任せ、元の如く寺家直務の御成敗を蒙らば、満山愁眉を開き、弥御祈■の精誠を抽んじ奉らん為に、粗謹んで言上件の如し。

 永享十二年三月 日




■注釈

(1)荘官の名称で預所の別称。  (2)足利義満のこと。  (3)守護請には反対してきたが、遂に幕府の命令を受けてしまった。




 

■現代語訳

①高野山文書(一)

 ※略

②高野山文書(二)

(1440年)高野山根本大塔の荘官賢成が謹んで申し上げる。

備後国(現広島県)太田庄と藤原郷の地頭職、尾道の倉敷等の年貢未納のこと

 これらの荘園は足利義満公の時代の1402年に、守護であった亡き山名右衞門佐殿の守護請の荘園として年貢1000石を寺納することとなりました。寺側は、守護請には反対してきましたが、遂に幕府の命令を受けることとなりました。しかし、結局毎年年貢を滞納し、1402年から1439年まで2万600余石の未納となっている。…

(以下、省略)




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