【JH216】建武式目
■原典
・建武式目
■史料
建武式目条条
鎌倉元の如く柳営(1)たるべきか、他所たるべきや否やの事
…就中鎌倉郡は、文治に右幕下(2)始めて武館を構へ、承久に義時朝臣天下を幷呑す。武家に於ては尤も吉土と謂ふべきや。…但し、諸人若し遷移せんと欲せば、衆人の情に随ふべきか。
政道の事
…古典に曰く、徳は是れ嘉政也、政は民を安んずるに在りと云云。早く万人の愁を休むるの儀、速かに御沙汰有るべきか。其の最要粗左に註す。
一、倹約を行はるべき事…
一、群飲佚遊(3)を制せらるべき事…
一、狼藉を鎮めらるべき事…
一、私宅の点定を止めらるべき事…
一、京中の空地、本主に返さるべき事…
一、無尽銭・土倉を興行せらるべき事…
一、諸国の守護人、殊に政務の器用を択ばるべき事…(以下条文略)
以前(4)十七箇条、大概斯の如し…遠くは延喜・天暦の両聖(5)の徳化を訪ひ、近くは義時・泰時父子の行状を以て近代の師と為す。殊に万人帰仰の政道を施さるれば、四海安全の基たるべきか。…
建武三年十一月七日 眞恵
是円
■注釈
(1)「幕府」のこと。 (2)右近衛大将の敬称。頼朝をさす。
(3)「大人数での遊興や酒宴」のこと。 (4)「以上」の意。 (5)醍醐・村上天皇をさす。
■現代語訳(口語訳)
(1336年)幕府を鎌倉におくか他の場所に移すかについて。
鎌倉で源頼朝が幕府を構え、承久の乱後に北条義時が天下を支配した。武家にとって鎌倉は縁起の良い土地ではあるが、人々が別の場所が良いというのであればそれに従うのが良いだろう。
政治のこと
…古典によると、徳が嘉政である。政治は民の生活を安んずるためにある。早く民の心身が休まるよう、速やかに取り仕切るべきである。その内容を左の通り記す。
(条文、省略)
以上の17か条はおおよそこの通りで、醍醐・村上天皇の徳を顧み、義時・泰時の政治を模範としている。