【JH210】下地中分
■原典
・金剛三昧院文書
■史料
和与(1)す
備後国神崎庄(2)下地(3)以下所務(4)条条の事
右、当庄の領家高野山金剛三昧院(5)内遍照院雑掌(6)行盛と、地頭阿野侍従殿季継御代官助景の相論する(7)、当庄下地以下所務条条の事、訴陳に番ふ(8)と雖も、当寺の知行の間、別儀(9)を以て之を和与せしめ、田畠山河以下の下地は中分せしめ、各一円の所務を致すべし。仍って和与の状、件の如し。
文保弐年二月十七日 地頭代左衛門尉助景 在判
雑 掌 行盛 在判
■注釈
(1)幕府の裁定を得るよりも先に当事者間で和解すること。 (2)現広島県世羅郡世羅町。
(3)領主の収益の対象となる所領のこと。 (4)荘園を管理し、年貢を納めること。
(5)高野山金剛峯寺の塔頭の1つ。北条政子が建立。
(6)荘園関係の訴訟の際、本所側を代表して活動する訴訟代理人のこと。
(7)「争い」の意。 (8)原告からの訴状と被告からの陳状をそれぞれ三度提出して論争した。
(9)「格別・特別な事情」の意。
■現代語訳(口語訳)
備後国神崎庄の土地の管理をはじめとする訴訟の和解のこと
神崎荘の領家である高野山金剛峯寺三昧院の中にある遍照院の雑掌行盛と、地頭の阿野侍従殿(季継)の代官助景との間の土地管理についての争いは、裁判となって互いに訴状と陳状のやりとりを行ったが、金剛三昧院の支配地という特別な事情によって和解することとする。田畠・山河以下の現地は領家と地頭で中分し、それぞれ相互の干渉を排除して支配するものとする。和解の内容は以上の通りです。
文保2(1318)年2月17日
地頭代左衛門尉助景
雑掌行盛