2021.11.16

【JH204】承久の乱1

■原典

・吾妻鏡




■史料

尼将軍北条政子の訴え

 (承久三年五月)十九日壬寅、…二品(1)、家人等を 簾下に招き、秋田城介景盛(2)を以て示し含めて曰く、「皆心を一にして奉るべし。是れ最後の詞なり。故右大将軍(3)、朝敵を征罰し、関東を草創(4)してより以降、官位と云ひ、俸禄と云ひ、其の恩、既に山岳よりも高く、溟渤よりも深し。報謝の志浅からんや。而るに今、逆臣の讒に依りて非義の綸旨(5)を下さる。名を惜しむの族は、早く秀康・胤義等を討取り、三代の将軍の遺跡(6)を全うすべし。但し院中に参らんと欲する者は、只今申し切るべし」者、群参の士、悉く命に応じ、且つは涙に溺れて返報を申すこと委しからず。只命を軽んじて恩に酬いんことを思ふ。

■注釈

(1)北条政子のこと。  (2)安達泰盛(政子の側近)  (3)源頼朝のこと。  

(4)「鎌倉幕府創設」の意。  (5)北条義時追討の宣旨のこと。 (6)残された家や所領のこと。




■現代語訳(口語訳)

 1221年、北条政子は御家人らを集め、安達景盛に伝えさせた。「皆心を1つにして聞きなさい。これが最後の言葉です。源頼朝が平氏を滅し、鎌倉幕府を設立して依頼、官位・俸禄を頂戴した御恩は山よりも高く、海よりも深い。奉公の志は深いはず。しかし、今は逆臣の非難を受けて義時追討の宣旨が出ました。」(以下、省略)




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