【JH125】藤原道長の栄華
■原典
・小右記
■史料
(寛仁二年十月)十六日、乙巳。今日、女御(1)藤原威子を以て皇后に立つるの日也。前太政大臣(2)の第三の娘なり。一家三后を立つるは未だ曽て有らず。
…太閤、下官を招き呼びて云く、「和歌を読まんと欲す。必ず和すべし」者(てえり)。答へて云く、「何ぞ和し奉らざらんや」と。又云く、「誇たる歌になむ有る。但し宿構(3)にあらず」者。「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の虧(かけ)たる事も無しと思へば」余申して云く、「御歌優美なり。酬答に方無し。満座只此の御歌を誦すべし。…」と。諸卿、余の言に響応して数度吟詠す。太閤和解して殊に和を責めず。…
■注釈
(1)皇后、中宮なども含めた天皇の配偶者の一人。 (2)藤原道長のこと。
(3)「前々から準備していたもの」の意。
■現代語訳(口語訳)
寛仁2(1018)年10月16日、今日は女御の藤原威子を皇后に立てる日である。威子は前太政大臣の三女である。一家から三人の后が立つのは前例のないことである。…太閤が私を招いて「和歌を詠もうと思うが、君も必ず返歌を詠め」と言うので、「返歌をお詠みしましょう」と答えた。するとまた「誇らしく思ってつくった歌だが、あらかじめつくっていたものではない」といって、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思えば」と歌った。
私は「この御歌は優美で、これに見合う返歌を詠むなどということはとてもできません。みな揃ってこの歌を唱和するのがよろしいでしょう。…」と。諸卿も私の言葉に応じて数度吟詠した。太閤も機嫌を良くして改めて返歌を求めなかった。…