【JH129】荘園の寄進
■原典
・東寺百合文書
■史料
① 鹿子木荘(東寺百合文書)
鹿子木(1)の事
一、当寺の相承は、開発領主(2)沙弥(3)寿妙嫡嫡相伝也。
一、寿妙の末流高方(4)の時、権威を借らんが為に、実政卿(5)を以て領家と号し、年貢四百石を以て之を割き分ち、高方は庄家領掌進退(6)の預所職(7)となる。…
一、実政の末流の願西(8)微力の間、国衙の乱妨を防がず。是の故に願西、領家得分(9)二百石を以て、高陽院内親王(10)に寄進す。件の宮薨去の後、御菩提の為に、勝功徳院を立てられ、彼の二百石を寄せらる。其の後、美福門院(11)の御計として、御室(12)に進付せらる。是れ則ち本家の始め也。…
② 上桂庄(東寺百合文書)
寄進し奉る 所領の事
合わせて壱所者。
山城国上桂に在り。
四至。東は桂川東堤の樹の東を限る。南は他領の堺(入り交る)を限る。西は五本松の下路を限る。北は□河の北梅津堺の大榎木を限る。
右当所は、桂の津守建立の地也。津守、津公・兼枝・則光次第知行相違無し。爰に御威勢を募り奉らんが為に、当庄を以て永代を限り、院の女房大納言殿御局に寄進し奉る所也。中司職に至りては、則光の子子孫孫相伝すべき也。後日の為寄進の状件の如し。
長徳三年九月十日 玉手則光 (判) 玉手則安 (判)
■注釈
(1)肥後国飽田郡にある鹿子木の荘。 (2)その土地を最初に開拓した領主のこと。
(3)在俗の僧のこと。 (4)中原高方のこと。 (5)藤原実政のこと。
(6)荘官として現地の支配権を握った。 (7)荘官で、下司などの下級荘官を指揮して現地を管理した。
(8)実政の曾孫藤原隆通の法名。 (9)職に伴う収益のこと。 (10)鳥羽院の娘を指す。
(11)高陽院内親王の母である得子のこと。 (12)京都の御室にある仁和寺のこと。
■現代語訳(口語訳)
① 鹿子木荘(東寺百合文書)
一、この荘園は開発領主の沙弥寿妙の子孫が代々受け継いできたものである。
一、寿妙の子孫高方の時、権威を借りるために藤原実政卿を領家として年貢の内400石を上納することとし、高方は荘園の現地を完全に支配する預所職となった。
一、実政の子孫の願西は力がなく、国衙の不当な干渉を防ぐことが出来なかった。そこで願西は領家の得分のうちの200石を上納するという条件で高陽院内親王に寄進した。内親王が亡くなった後は、菩薩を弔うために勝功徳院を建立され、その200石を寄進された。その後、内親王の母である美福門院の計らいで仁和寺に寄進された。これが荘園の本家の始まりである。
② 上桂庄(東寺百合文書)
省略