【JH226】足軽の出現
■原典
・樵談治要
■史料
一、足がるといふ者長く停止せらるべき事。
昔より天下の乱るることは侍れど、足軽といふことは、旧記などにもしるさざる名目(1)也。…(中略)…平家のかぶろといふ事をこそめづらしきためしに申侍れ。此たび(2)はじめて出来たる足がるは、超過したる悪党なり。其の故は洛中洛外の諸社・諸寺・五山十刹(3)・公家・門跡(4)の滅亡はかれらが所行也。かたきのたて籠たらん所にをきては力なし(5)。さもなき所所を打やぶり、或は火をかけて財宝をみさくる事は、ひとへにひる強盗といふべし。かかるためしは先代未聞のこと也。…されば隨分の人の、足軽の一矢に命をおとして、当座の恥辱のみならず、末代までの瑕瑾を残せるたぐひも有とぞ聞えし。
■注釈
(1)名前、名辞のこと。 (2)応仁の乱のこと。 (3)室町時代の臨済宗における寺院格式精度のこと。 (4)皇族や公家が住持する格式の高い寺院のこと。 (5)「仕方がない」「やむをえない」という意味。
■現代語訳(口語訳)
足軽という者、長く停止されるべきであること。
昔から世の中が乱れたことはあるが、足軽という者は古い記録などにも記されていない呼称である。応仁の乱ではじめて出現した足軽は度の過ぎた悪党である。その理由は、都の内外の神社や寺院、五山十刹の禅宗寺院、公家や門跡寺院が亡んだのは彼らの仕業だからである。敵が敵陣として立て籠もっているいるところところについては、攻撃を仕掛けても仕方がない。そうではない所々を打ち破り、あるいは火をつけて財宝を略奪することは単なる昼強盗というべきである。このようなことは前代未聞のことだ。