・日本外交年表竝主要文書
<第一次>ー国民政府ヲ対手トセスー
帝国政府ハ南京攻略後(1)、ナホ支那国民政府(2)ノ反省ニ最後ノ機会ヲ与フルタメ今日ニ及ベリ。然ルニ国民政府ハ帝国ノ真意ヲ解セズ、漫リニ抗戦ヲ策シ、内、民人塗炭ノ苦ミヲ察セズ、外、東亜全局ノ和平ヲ顧ミル所ナシ。ヨッテ帝国政府ハ、爾後、国民政府ヲ対手トセズ(3)、帝国ト真ニ提携スルニ足ル新興支那政権ノ成立発展ヲ期待シ(4)、コレト両国国交ヲ調整シテ更生新支那ノ建設ニ協力セントス。…
<第二次>
(1)1937年12月13日に占領、この時に南京事件が起こった。 (2)蒋介石の国民政府をさす。 (3)1月18日には国民政府を抹殺するとの趣旨だと判明した。 (4)近衛声明に呼応し、汪兆銘が重慶を脱出。1940年3月に南京に「国民政府」をつくった。
日本政府は南京占領後、蒋介石の国民政府に最後の反省の機会を与えようと今日に至った。しかし、国民政府は日本の真意を理解せず、むやみに抗戦し、国内では人民の苦しみを、国外では東洋の平和を全く考えていない。よって、今後日本政府は国民政府を相手にせず、日本と真に協力する新興中国政府の成立と発展を待ち、其の政府と両国の国交を調整し、新しい中国の建設に協力する。