【JH131】院政の開始
■原典
・神皇正統記
■史料
白河院…天下ヲ治メ給フコト十四年、太子ニユヅリテ尊号アリ。世ノ政ヲハジメテ院中ニテシラセ給フ。後ニ出家セサセ給ヒテモ猶ソノママニテ御一期(1)ハスゴサセマシマシキ。オリヰ(2)ニテ世ヲシラセ給フコト昔ハナカリシナリ。…マシテ此御代ニハ院ニテ政ヲキカセ給ヘバ、執柄ハタダ職ニソナハリタルバカリニナリヌ。
サレドコレヨリ又フルキスガタハ一変スルニヤ侍ケン。執柄(3)世ヲオコナハレシカド、宣旨(4)・官符(5)ニテコソ天下ノ事ハ施行セラレシニ、此御時ヨリ院宣・庁御下文(6)ヲオモクセラレシニヨリテ在位ノ君又位ニソナハリ給ヘルバカリナリ。世ノ末ニナレルスガタナルベキニヤ。
■注釈
(1)「御一代」の意。 (2)「上皇」のこと。「天皇の位を降りて」の意。
(3)摂政・関白のことで、その別称。 (4)天皇の命令を伝える文書のこと。
(5)太政官符のこと。 (6)上皇の宣旨・院庁が出す伝達文書のこと。
■現代語訳(口語訳)
白河天皇が政治をおこなったのは14年間で、その後退位して上皇となり院政を開始した。法皇となったあとも亡くなるまでそのまま院政をおこなった。退位した後も政治をおこなったことは昔はなかった。この時代は院政がおこなわれていたので、摂政や関白は名ばかりになってしまった。
そしてこれより昔の政治の様子が変わってしまった。摂関政治の時代でも、宣旨や官符で政務がおこなわれていた。しかし、この時代から院宣や院庁下文が重視されるようになり、天皇は位に就いているだけとなった。末世の悲しむべき姿である。