2021.12.11

【JH128】国風文化 (往生要集・土佐日記)

■原典

・往生要集

・土佐日記




■史料

① 往生要集 (浄土教)

 それ往生極楽の教行は、濁世(1)末代(2)の目足(3)なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密の教法(4)は、その文、一にあらず。事理の業因(5)、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯の者(6)、あに敢てせんや。

 

 この故に、念仏の一門に依りて、いささか経論の要文を集む。これを披いてこれを修むるに、覚り易く行ひ易からん。惣べて十門あり。分ちて三巻となす。一には厭離穢土、二には欣求浄土、三には極楽の証拠、四には正修念仏…十には問答料簡(7)なり。これを座右に置きて廃忘(8)に備へむ。



② 土佐日記

 をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみんとてするなり。それのとし(9)のしはすのはつかあまりひとひのひのいぬのとき(10)に、かどです。そのよし、いささかにものにかきつく。

 あるひと、あがた(11)のよとせいつとせはてて、れいのことどもみなし(12)をへて、げゆ(13)などとりて、すむたち(14)よりいでて、ふねにのるべきところへわたる。かれこれ、しるしらぬ、おくりす。としごろよくくらべつるひとびと(15)なん、わかれがたくおもひて、日しきりに(16)とかくしつつ、ののしる(17)うちによふけぬ。




■注釈

(1)「汚れた世」の意で、現世をさす。  (2)「末法の世の中」の意。

(3)「道標」の意。  (4)顕教と密教を含む、全ての仏教のこと。  (5)成仏するための修行のこと。

(6)「頑なで愚かな者」の意。  (7)問答を通して比較・思案すること。  (8)信心の廃れや忘れ去ること。

(9)紀貫之の土佐守着任は930年で、離任は934年のこと。  (10)午後7時〜9時ごろ。

(11)地方のこと。国司の意もある。  (12)国司交代の際の業務引き継ぎのこと。

(13)交代完了を示す証書のこと。  (14)国司の官邸を指す。親しくした人たちのこと。

(15)親しくした人たちのこと。  (16)「一日中」の意。  (17)「騒ぐ」の意。




■現代語訳(口語訳)

① 往生要集 

 極楽往生を遂げるための教えと修行は、汚れた末法の世の中の道標となるものである。道風貴賎みなこの教えに帰依するであろう。仏教では経文も1つではなく、成仏するための修行も多い。知恵があり仏筋に励むことができる人ならばそれほど困難でもなかろうが、私のような愚かな者には到底できないことである。

 このような理由で、念仏の教えにかぎって経論の中の重要な部分をかき集めてみた。この書を開いて学べば、教えも分かりやすく、修行も行いやすいであろう。内容は全部で10部門あり、3巻に分けてまとめてある。

 第一は現世を厭い離れること、第二は浄土を願い求めること、第三は極楽浄土を尊ぶべき証、第四は念仏の仕方…第十は問答による他の教えとの比較である。この書を座右におき、信心が薄れたり、忘れそうになった時の備えとしたら良いだろう。


② 土佐日記

 この日記は、男が書く日記というものを女も描いてみようと思って記したものである。ある年、2月21日の戌の刻に旅立ったが、その旅のことを書き記したものである。

 ある人が国士としての4〜5年の任期を終え、交代業務も済ませ、解由条も受け取ってそれまで住んでいた館から船乗り場へ移った。あの人この人、知っている人も知らない人も、たくさんの人が見送りにきた。親しくしていた人々からは特に別れがたく感じ、一日中何やかやとしつつ、騒いでいるうちに夜が開けた。





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