【JH121】桓武天皇の二大事業(軍事と造作)
■原典
・日本後紀
■史料
(延暦二十四年十二月)壬寅是の日、…中納言近衛大将従三位藤原朝臣内麻呂、殿上(1)に侍す。勅有りて、…天下の徳政を相論ぜしむ。時に緒嗣議して云ふ、「方今、天下の苦む所は、軍事(2)と造作(3)となり。此の両事を停むれば百姓安んぜむ」と。真道、異議を確執し、聴くことを肯んぜず。帝(4)、緒嗣の議を善しとす。即ち停廃に従ふ。
■注釈
(1)内裏の殿舎のこと。 (2)「蝦夷征討」の意。 (3)「平安京造営」の意。 (4)桓武天皇のこと。
■現代語訳(口語訳)
延暦24(805)年、藤原朝臣内麻呂が内裏の殿舎に参上した。勅が出された。桓武天皇は藤原緒嗣と菅野真道に徳政論争をさせた。緒嗣は「現在、民衆を苦しめているのは蝦夷征討と平安京の造営です。この二大事業を停止すれば民衆は安らかになるでしょう。」と述べた。真道はこれに反対し、聞き入れようとはしなかった。桓武天皇は緒嗣の意見を採用し、二大事業を中止することとした。