【JH120】鎮護国家
■原典
・続日本紀
■史料
① 国分寺建立の詔〔続日本紀〕
(天平十三年三月)乙巳、詔して曰く、「…宜しく天下の諸国をして各敬んで七重の塔一区を造り、并に金光明最勝王経、妙法蓮華経各一部を写さしむべし。…又国毎の僧寺(1)には封(2)五十戸、水田十町を施し、尼寺(3)には水田十町。僧寺には必ず廿僧有らしめ、其の寺の名を金光明四天王護国之寺と為し、尼寺には一十尼あつて、其の寺の名を法華滅罪之寺と為す。両寺相共に宜しく教戒を受くべし」と。
② 大仏造立の詔〔続日本紀〕
天平十五年歳癸未に次る十月十五日を以て、菩薩の大願(4)を発して盧舎那仏(5)の金銅像一躯を造り奉る。国銅を尽して象を鎔し、大山を削りて以て堂を構へ、広く法界に及ぼして朕が知識と為す。遂に同じく利益を蒙しめ共に菩提を致さしめん。夫れ天下の富を有つ者は朕也、天下の勢を有つ者も朕也。此の富勢を以て此の尊像を造る。事や成り易き心や至り難き。…もし更に人一枝の草一把の土を持ちて、像を助け造らんと情願する者有らば、恣に之を聴せ。
■注釈
(1)国分寺のこと。 (2)「封戸」の意。 (3)国分尼寺のこと。
(4)仏教を興隆して衆生を救おうとすること。 (5)華厳教の本尊のこと。
■現代語訳(口語訳)
① 741年、詔が出された。「各国ごとに七重の塔を一基つくらせ、金光明最勝王経と妙法蓮華経を一部ずつ写させよ。また国ごとの僧寺には封戸50戸と水田10町を、尼寺には水田10町を与える。
僧寺には必ず20人の僧をおき、寺の名を金光明四天王護国之寺(国分寺)とする。尼寺には10人の尼をおき、寺の名を法華滅罪之寺(国分尼寺)とする」と。
② 743年10月15日、菩薩の願いにより、盧舎那仏の金銅像一体をおつくりする。天下の富、天下の権勢を所持するものは私(聖武天皇)である。この富と権勢をもって、この大仏をつくるのである。大仏造立は容易であるが、造立の趣旨はなかなか理解されない。