2021.12.11

【JH104】中国南朝との交渉

■原典

・宋書倭国伝




■史料

 高祖(1)の永初二年、詔して日く、「倭讃、万里貢を修む。遠誠宣しく甄すべく、除授を賜ふべし(2)」と。……讃死して弟珍立つ。

…二十年(3)、倭国王済、使を遣はして奉献す。

…済死す。世子興(4)、使を遣はして奉献す。

…興死して弟武立つ。自ら使持節都督府・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と称す。

…順帝(5)の昇明二年,使を遣はして表を上りて日く、「封国は偏遠にして、藩(6)を外(7)に作す。昔より祖禰躬ら甲冑を擐き、山川を跋渉して、寧処に遑あらず。東は毛人(8)を征すること五十五国、西は衆夷(9)を服すること六十六国、渡りて海北(10)を平ぐること九十五国。…」と。




■注釈

(1)宋の初代武帝(在位420〜422年)。  (2)官職・爵位を授ける。  

(3)三代文帝の即位20年。  (4)後継ぎ  (5)八代皇帝(在位477〜479年)  

(6)領域  (7)遠いところ  (8)蝦夷か  (9)九州南部の人々か  (10)朝鮮半島のことか




■現代語訳(口語訳)

 高祖の永初2(421)年、詔を下していうには、「倭王の讃は万里を越えて貢物を献上してきた。遠方からの誠意を賞して官職を与える」と。…讃が死んで弟の珍が王位についた。

 …文帝の20(443)年、倭国王の済が使者を遣わして貢物を献上した。

 …済が死に、後継ぎの興が使者を遣わして貢物を献上した。

 …興が死んで弟の武が王位につき、自ら使持節都督府・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と称した。

 順帝の昇明2(478)年、武は使者を遣わして文書を奉り、次のように述べた。「私の国は中国から遥か遠いところを領域としています。昔から私の祖先は、自ら甲冑を着け、山を越え川を渡って各地で戦い、休む暇もありませんでした。そして東は毛人の55国、西は衆夷の66国を征服し、さらに海を超えて北方の95国を平定しました。…」と。




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