【JH102】邪馬台国
■原典
・魏志倭人伝
■史料
①位置
倭人は帯方(1)の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国、漢の時朝見(2)する者あり。今使訳通ずる所(3)三十国。郡より倭に至るには海岸に循ひて水行し、…邪馬壹国に至る。女王の都する所なり…
②習俗
男子は大小と無く、皆黥面文身(4)す。…男子は皆露紒(5)し、木緜を以って頭に招く。其の衣は横幅、但結束して相連ね、略縫うことなし。婦人は被髪屈紒す。衣を作ること単被の如く、其の中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る。…
③社会
租賦を収む。邸閣有り。国々市有り、有無を交易す。大倭(6)をして之を監せしむ。女王国より以北には、特に一大率(7)を置き、諸国を検察せしむ。諸国之を畏憚す。…下戸、大人と道路に相逢へば、逡巡(8)して草に入り、辞を伝え事を説くには、或は蹲り或は跪き、両手は地に拠りて、之が恭敬を為す。
④政治
其の国、本亦男子を以て王と為し、住まること七・八十年。倭国乱れ、相攻伐すること暦年、乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰う。鬼道(9)を事え、能く衆を惑はす。…
⑤外交
景初二年(10)六月,倭の女王、大夫難升米等を遣はし、郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。…其の年十二月、詔書して倭の女王に報じて日く、「…今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、…特に汝に…銅鏡百枚・真珠…を賜うなり」と。…
⑥卑弥呼の死後
卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩(11)、徇葬(12)する者、奴卑百余人、更に男王を立てしも、国中服せず。更相誅殺し、当時千余人を殺す。復た卑弥呼の宗女壹与の年十三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。…
■注釈
(1)帯方郡。楽浪郡の南端に新設された郡。 (2)朝貢して謁見する。 (3)国交のあるところ
(4)全身にいれずみがある。 (5)両耳からみずらに結った髪 (6)官職名とされる。 (7)諸国の検察・監視機関。
(8)しりごみする。 (9)呪術(シャーマニズム) (10)景初三年の誤りで、正しくは西暦239年。
(11)直径100余歩。 (12)貴人の死に殉じて一緒に埋葬されること。
■現代語訳(口語訳)
①位置
倭人は帯方郡東南の海の向こうにいて、山の多い島に国を作っている。昔は100余国あり、漢の時代に朝貢して謁見してきた。今、30国が使者を送っている。帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って航行し、 …邪馬台国がある。女王が都をおいている。
②習俗
男子は子どもも大人も皆、全身にいれずみをしている。髪はみずらに結い、木綿を頭に巻いている。衣服は一枚の布で、横幅の布を体に巻きつけるだけで縫うことはない。女性は頭の後ろで髪を束ねている。衣服は布の中央を貫き、貫頭衣にしている。
③社会
税を納める倉庫がある。国々では市がたち、交易が行われていて、大倭が監視している。邪馬台国から北には、諸国を検察する一大卒が置かれていて、諸国はこれを恐れている。下戸が道で大人に会えば、後ずさりして草むらに入り、声をかける場合にはひざまずいたりして両手をつき、恭敬の意を表す。
④政治
邪馬台国は7・80年の間は男の王が統治していた。しかし、倭国は大乱となり長年抗争が絶えなかったので、一人の女子を立てて王とし卑弥呼と呼んだ。卑弥呼は呪術に優れ、よく統治した。
⑤外交
239年、女王卑弥呼は大夫難升米たちを使者として帯方郡に行かせ、魏の皇帝に朝貢したいと求めた。12月、魏の皇帝は「卑弥呼を親魏倭王に任じ、金印と紫綬を与え、銅鏡…真珠などを与える」という詔書を出した。
⑥卑弥呼の死後
卑弥呼が死んで大きな墓がつくられた。墓の直径は100余歩もあり、100人ほどの奴婢が殉葬された。その後、男の王をたてたが、国中が服従しなかった。卑弥呼一族の女である壱与を王にたてると、国中がしずまった。