【JH101】倭人の登場
■原典
・漢書地理志
・後漢書東夷伝
■史料
① 紀元前1世紀ごろの倭国〔漢書地理志〕
夫れ楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国と為る。歳時を以って来り。献見(1)すと云う。
② 紀元前1〜2世紀ごろの倭国〔後漢書東夷伝〕
建武中元二年、倭の奴国、貢ぎ奉じて朝賀す。使人自ら大夫(2)と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬(3)を以てす。安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口(4)百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間(5)、倭国大いに乱れ、更相攻伐して暦年主なし。
■注釈
(1)定期的にやってきて。(朝貢、謁見) (2)中国王朝の官名。一般的には大臣。 (3)印とそれに付す組紐。
(4)奴隷。 (5)後漢の桓帝(147-167)と霊帝(168-189)の間。
※①について
中国前漢(紀元前202〜後8年)の歴史書『漢書』の一部。1世紀、後漢の班固による編纂とされる。
※②について
中国後漢(25〜220年)の歴史書『後漢書』の一部。5世紀、南朝宋の范曄による編纂とされる。
■現代語訳(口語訳)
①楽浪郡の海の向こうには倭人がおり、100余国に分かれている。毎年定期的に楽浪郡に朝貢(貢物を持参)し、謁見するといわれている。
②57年、倭の奴国が後漢の洛陽に朝貢してきた。使者は自信を大夫と名乗った。倭の南端にあるという。洪武帝は奴国の王に金印と綬を授けた。107年、倭の国王である帥升たちが奴隷160人を献上し、皇帝に謁見を求めた。2世紀後半ごろ、倭国は大いに乱れ、互いに攻め合って長い間統一されなかった。