【JH407】大政奉還の上表
■原典
・維新史
■史料
臣慶喜、謹ミテ皇国時運ノ沿革ヲ考ヘ候ニ、昔シ王綱紐(1)ヲ解キ、相家(2)、権ヲ執リ、保平ノ乱(3)、政権武門ニ移リテヨリ、祖宗(4)ニ至リ更ニ寵眷(ちょうけん)(5)ヲ蒙リ、二百余年、子孫相受ク、臣其ノ職ヲ奉ズト雖モ、政刑(6)、当ヲ失フコト少ナカラズ。
今日ノ形勢ニ至リ候モ、畢竟(ひっきょう)薄徳ノ致ス所、慚懼(ざんく)ニ堪ヘズ候。
況ヤ当今外国ノ交際日ニ盛ナルニヨリ、愈朝権一途ニ出テ申サズ候テハ、綱紀立チ難ク候間、従来ノ旧習ヲ改メ、政権ヲ朝廷ニ帰シ奉リ、広ク天下ノ公議ヲ尽シ、聖断ヲ仰ギ、同心協力、共ニ皇国ヲ保護仕リ候エバ、必ズ海外万国ト並立ツベク候。…
臣慶喜国家ニ尽ス所、是ニ過ぎずト存じ奉り候。去り乍ら猶見込ノ儀(7)も之アリ候得者(そうらえば)申し聞かすへき旨、諸侯へ相達し置き候。之に依テ此段謹テ奏聞仕り候。
■注釈
(1)天皇の政治の秩序のこと。 (2)大臣家のことで、ここでは藤原氏をさす。 (3)保元・平治の乱のこと。 (4)徳川氏の祖宗のことで、ここでは家康をさす。 (5)「朝廷の寵愛」の意。 (6)国家の政治権力(行政・司法など)をさす。 (7)「この際、どうすべきかについての意見」の意。
■現代語訳
臣慶喜が謹んで日本の歴史的沿革を考えてみますのに、昔天皇の権力が失墜し、藤原氏の摂関政治が行われ、保元・平治の乱をへて政権が武家に移りました。以来、私の祖先徳川家康が朝廷の寵愛を受け、二百年余りの間子孫が相次いで将軍職につき、私の時代に至りましたが、政治・刑罰の当を得ないことも少なくありません。
今日の時勢に立ち至ったのも、結局は私の不徳の致すところで、恥ずかしい次第であります。まして最近は国際関係が盛んで、政権が1つでなければ秩序を保ことができないから、従来の旧習を改めて政権を朝廷に返し奉り、広く議論を行い、天皇の決断を仰ぎ、心を1つに協力して日本政治を治めていったなら、必ず海外諸国と比肩できるでありましょう。
臣慶喜が国家に尽くすことは、これ以上に途は無いと考えます。しかしながら、国の将来について、なお考えていることもあるので申し聞かせると、諸大名に通達してあります。それで右のことを謹んで申し上げます。